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「女性学がようやく市民権を得た…」 東大に転職で変わった“教授人生”

上野千鶴子(東京大学名誉教授)

2021年03月15日 公開 2023年09月19日 更新

上野千鶴子

「女性学は学問なのか?」教授会での発言に悔し泣き

まだ女性学という学問がなかった頃からジェンダー研究に取り組んできた身からすると、30年以上経って、ようやくこの学問が市民権を得たという手応えはあります。

私が女性学を始めた頃は、「女が女を研究するなんて主観的だ。所詮は女のグチやヒステリーだろう」と言われたんですから。大学の教授会でオジサンたちから「それが学問なのか?」と言われて、悔し泣きしたこともあります。

そんな誤解と偏見の中で、女性学を確立するためにやってきたことが二つあります。

一つは、女性のネットワークを作ること。2009年にはウィメンズ アクション ネットワーク(WAN)を設立し、女性たちをつなぐ活動を地道に続けています。

もう一つは、論理と論拠を積み重ねること。オジサンたちを納得させるには、男の言葉を使い、男のロジックで話さなければ通じません。

ただ、学問としての女性学の地位は築いたものの、実際に女性を取り巻く環境が改善したかと問われると、「イエス&ノー」としか答えられません。

もちろん「イエス」の部分もあります。この30年で女性の選択肢は広がり、働く女性の数も増えました。直近のデータによると、女性の就労人口は生産年齢人口の7割に達し、米国やEUを抜きました。

しかし、男女の賃金格差はいまだに大きい。女性就労者の10人に6人が非正規労働者だからです。つまり、私たちは30年かけて格差社会を作ってしまったのです。これが「ノー」の部分です。

若い女性たちをこんな社会に送り出すことを申し訳なく思います。

 

ピークを過ぎても人生はまだまだ続く

私のキャリアを振り返ると、「自分の能力の限界を超えた」と思える仕事ができたのは30代まででした。これは私に限らず、どの仕事でも同じではないでしょうか。

40代以降は経験値が上がるので体力の衰えはカバーできますが、気力や能力が低下して新しいものを生み出せず、自己模倣が始まって仕事がルーティン化するものです。

しかし、ピークを過ぎても、人生はまだまだ続きます。

だから私も考えました。40代以降の人生を充実させるために、何ができるか。その答えが、「将来のための仕込み」です。

その一つが、自己投資です。

私は40代のうち2年間を海外で過ごしました。当時の私はメディアへの露出が多かったので、そのままの生活を続ければお金は稼げた。でも、「お金はあとからでも手に入るが、時間は取り戻せない」と考えたのです。

外国へ出て視野を広げ、自分のメニューを増やしたことは、その後のキャリアにつながる大きな糧になりました。

もう一つの仕込みが、専門分野を変えたこと。50代に入って自分が老いを感じ始めたこともあり、馴染みのなかった福祉や介護の分野に手を出しました。

未知の領域にチャレンジすれば、何歳でもビギナーです。ただし、前の職場で3割バッターだったら、新しい職場でも3割打たなければいけない。

そう自分にプレッシャーをかけたことで『ケアの社会学』(太田出版)という大著を世に出すこともできました。『おひとりさまの老後』(文春文庫)はその副産物です。

今後の長い人生に備えるなら、読者の皆さんにも、意識的な自己投資や新たな領域への挑戦をお勧めします。

 

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