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故郷・石巻を離れて葛藤する医師を救った「家族の一言」



2021年03月25日 公開

及川貴生(たま耳鼻咽喉科理事長)&吉澤恵理(医療ジャーナリスト)

及川貴生氏

「この10年間『被災地である地元の石巻のために私は何かできているのか』という自問が頭を離れたことはありません」

そう話すのは、神奈川県川崎市で医療法人紫生会たま耳鼻咽喉科の理事長、及川貴生氏である。3.11から10年目の節目に超高齢化社会を目前に地元の石巻を含めた地方創生の仕組み作りを目指し奔走する中、インタビューに応じてくれた。

 

3月11日、手術室で受けた電話  

3月11日、及川医師は当時勤務していた大学病院の手術室にいた。

「専門医も取得し日々、多くの手術をこなしていました。あの日も患者の気管切開術をしている最中に『ドン!』大きな揺れが始まり、内心は大きな地震に狼狽しましたが、気道確保の途中だったので『患者さんの安全を第一に優先しなくては』と集中し、無事に気道確保を終えました」

強い揺れにより病院は停電が起きた。

「何度か大きな揺れがあったように記憶していますが、自家発電に切り替わったので人工呼吸器等の機器が問題なく作動しているかを確認し、ホッとしていました」

丁度その時、院内PHSがなった。

「虫の知らせじゃないですけど、PHSがなった瞬間、胸が『ドクン』とした感覚は今も覚えています。

恐る恐る電話に出てみると同僚が上擦った声で『東北で大きな地震が起きた!お前の実家の方じゃないのか!?』急いで手術室を出て院内のTVがある場所まで行くと、目に飛び込んできたのは、信じられない光景でした。

仙台空港が津波に飲まれる様子が映し出されるのを見て自分の鼓動が聞こえるほど大きく感じ...地元の土地勘から『これは、終わった』と思いました。

 

故郷・石巻への“喪失感”と“使命感”  

3.11直後、交通も情報通信も寸断された状態になす術もなく家族の無事を祈る毎日だった。

「安否を知る手段がありませんでした。石巻へ駆けつけて自分の足で確認したい...そんな衝動にかられることもありましたが、当時はそれができる状況ではありませんでした。

家族が津波にのまれたかもしれない...そう考えると、一人になれば、大きな喪失感、無力感に襲われながらも目の前の患者と向き合うことが僕を支えました」 

医師としての使命感が及川氏を支え続けた。津波の映像が何度も蘇り、その度に胸が苦しくなる。喪失感に支配されないように手術も外来も、後輩の指導も何もかもがむしゃらにこなした。

震災当日から10日あまりが経過したある日、

「現実を受け止めなれば...」

そう考え石巻へ戻り、自分の目で確かめなければと考えていた及川氏の電話が鳴った。

「妻からでした。すると『お父さんから電話で連絡があったわよ!皆さん無事よ!生きてるわよ!』と。あの時の嬉しさは言葉にできないほど。安心のあまりしばらく脱力して動けなかったのを覚えています」

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