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インド料理店を開店して気づいた「日本とインドの違い」

塩谷サルフィマクスーダ

2021年05月13日 公開 2022年10月06日 更新

インド料理店を開店して気づいた「日本とインドの違い」


塩谷サルフィマクスーダさんの出身地、インドのスリナガルで見られるハウスボート 

近年ますます重要になっている日印関係。インドから日本に嫁ぎ、母親として、経営者として、大学教員として活躍する塩谷サルフィマクスーダ氏が、両国で感じた文化や仕事観の違いを紹介します。

本稿では、同氏がインド料理店を営む中で感じた日本とインドの文化の違いと、日本の国際化に際して必要なことを指摘する一説を紹介する。

この記事は塩谷サルフィマクスーダ著『誇れる国・インドと日本 ~仕事・家族・教育、それぞれの文化と生活~』から抜粋したものです。

 

太古から関係の深かったインドと日本

日本にはインドから仏教をはじめ、多くの文化がもたらされ、思想、哲学の分野でも直接的または間接的に影響を受けてきました。

産業、アート、建築、文学、音楽、ダンスなど、明治時代、日本が世界に門戸を開いて世界に溶け込んだ時、インドは日本への産業の原材料供給者として、そして日本製品の輸入者として大きな役割を果たしたのです。

また、第二次世界大戦で敗戦した日本を擁護し、サポートしたのもインドです。このことは2007年8月に、インドの国会で安倍首相が演説し、インド国民に感謝の思いが伝えられました。

日本では"貧しい・汚い"のイメージで、『仏教の聖地巡り』と『バックパッカーの聖地』が時代とともに移り変わり、『世界遺産巡り』『リゾート地』『ビジネスツアー』が主流となり、インドからも高度な人材、観光客、優秀な学生らがたくさん来日するようになりました。

インドはバラバラで一つの国です。たくさんの民族、たくさんの文化、たくさんの言葉──でもみんなインド人です。それはさしずめインドのカレーのようです。

いろいろなスパイスを混ぜながら、最高の味を引き出す。インドの国の人々もこのスパイスのように、多種多様な民族、宗教、言語、肌の色、食べる物、着る物、習慣、伝統など、そのすべてが違うけれど、ブレンドすると、何ともいえない味わい深い交流ができるのです。

 

外国人の経営者より、無収入の日本人学生

私がインドを旅立つ時に贈ってくれた父の言葉は今も忘れません──「その国を恋人のように愛し、離れる時には、よい思い出を持ち帰るんだよ」

これでわかるように、自分の国で、いろんな民族とともに生活をすることも、ある意味での交流です。私がまさしくそうでしたが、家庭から世界へ発信する、国際交流となるのです。

来日して2年半後の1987年に金沢市幸町に『印度料理ルビーナ』を開店しました。当初はお母さん(姑)が代表取締役でしたが、3年ほど経って、私も日本語が上達したので、その後を引き継いで代表取締役になったのでした。

『ルビーナ』はインドから来たマクスーダの店としておぼえてもらい、料理店という枠組みを超えて、文化人や経済人が集い交流する社交場、サロンのような場となり、とてもにぎわうようになりました。

開店して4年目に、日本とインドの食文化だけでなく、もっと二つのことを学べるようなちゃんとした場所にしたいという思いから移転するため、お母さんがフランス料理店だった内装の素敵な空き店舗を見つけてくれました。

私も気に入って居抜きで購入することになったのですが、私とお母さんが銀行にローンの相談に行ったところ、会社の業績からすれば店を担保に資金を貸すことは可能だけれども、お母さんは高齢で、私も外国人だということでローンを組むことができないと言われてしまったのです。

立ち会ってくれた不動産屋さんが、「自分も保証人になるから間違いないだろう」と言ってくれ、結局はまだ学生の身分で収入のない夫の名義でローンを組むことになったのです。

不思議な社会だなと私は思いました。同時に、収入もない日本人学生を信用して、経営をしている外国人には融資してくれない銀行のやり方に、心が痛みました。後でわかったのは、資産など好条件を持っていない外国人は、ローンは組めないとのことでした。

また、代表取締役や取締役の3人(私と兄、兄の友人)が外国人であることは石川県でも初めてのことで、融資が難航したのでした。国際時代、国際化と表向きはいいながら、外国人を受け入れる準備が整っていない。そんなことに疑問を持ちながら、国と民間のギャップ、矛盾を感じたものでした。

ローンも組めずアパートの部屋一つ借りられない時代、外国人であるだけで差別されていたのです。ただ私自身は友だちに恵まれた方なので、まだいい方で、ひどい差別を受けたとは思ってはいません。

そうして切り盛りしてきた店ですが、バブル経済真っ只中にありながら私は──『宗教や文化に関係なく安心して美味しいものを食べてお互いの文化を学ぶ』ことをコンセプトにして、30年以上にわたって営業を続けてきました。

今では誰でも知っている"ナーン"も、開店当初は「何これ?」と訊かれて「ナーン」と答えてお客様からお叱りを受けたり──カレーとナーンを出すと、「ごはんは?」と聞かれ──ベジタリアン料理を出すと、「このカレーにお肉は入ってないの?」──インド料理が市民権を得た今日では、懐かしい笑い話になりました。

その頃は「ハラル」どころか、その言葉を誰も理解できない時代でした。今ではお客様にハラル、インディアンフードを提供し、インド文化を紹介します。外国人観光客を誘致するためにハラルが必須となり、大学でもハラルフードを出す時代になったかと思うと隔世の感があります。

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文化の不理解が誤解を生む

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