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生き方

「悲しみには力がある」元タカラジェンヌが“被災地の子ども”と始めた舞台

妃乃あんじ(一般社団法人Huuug代表)

2021年08月19日 公開 2024年01月25日 更新

 

「宝塚上がりのお嬢に、何がわかる!」

大阪と東北を行き来する日々が始まった。漁業支援、遺体捜索、がれき撤去……、南三陸町以外の地域にも出かけ、依頼があれば何でもした。ただ、あんじさんのボランティア活動が初めからすべての人に受け入れられたわけではない。

「宝塚上がりのお嬢に、何がわかる!とっとと出て行け!」叫ぶ漁師の男性の姿にあんじさんはショックを受けた。しかし、毎月顔を合わせるうちに、真剣さが伝わり、受け入れられていった。

2年後にフラダンス教室を開いた時、真っ先にやってきて「オラに似合うスカートはどれだ?」と声をかけてきたのは、その男性だった。

さらにあんじさんの活動を支える流れも生まれた。あんじさんに共感した人が、さまざまな企業のトップが集まる場での講演会を企画してくれたのだ。

「それまで自分の貯金を注ぎ込んで活動していて、そのお話をいただいた時は銀行口座のお金が尽きる直前でした」貯金がなくなれば活動はあきらめるしかないと思い込んでいたあんじさんにとって、「団体を立ち上げて、大事な活動を続ける仕組みをつくりなさい」という助言は、まさに天の声。

法人の運営にも苦労はあるが、現在は一般社団法人Huuugとして活動している。震災から2年が経つ頃、あんじさんは気になる話をあちこちで耳にするようになる。

子どもたちの様子が今までと違う。「幼稚園や保育園で膝を抱えて動かない子どもたちを見ました。震災のような大きなショックを受けると、2年後くらいから不安が高まり気力が出なくなることがあるそうです」

そんな子どもたちが震災直後はむしろ元気な様子で、大人たちは励まされ、元気づけられていたという。「誰が亡くなったとか、これからの生活をどうしようとか、現実的な悩みがある大人から見ると、子どもは何もわかっていなくて無邪気に見えますよね。

でも実は、子どもは周囲をよく見ていて、不安を言葉にできず、大人たちを慮って我慢していたんだと思います」それまで子どもと関わる機会はほとんどなかったのに、あんじさんは子どもたちの気持ちに共感した。

「私自身がそういう子どもだったから」実はあんじさんは幼少期、いじめを受けていた。「極度の引っ込み思案」は大人から見た姿で、実際にはとても傷つき、自分を守るために心に壁をつくっていたのだ。幼いなりに自分で見つけた「生きる術」だった。

膝を抱えてうずくまる子どもたちも、無気力なのではなく、そうして自分を守っているのではないか。その壁を取り払えたら、きっとその子自身が本来もっている輝きが出てくるはず。あんじさんは、そう考えた。

その時、パッと浮かんだのが「宝塚」だった。「役を演じている時って、すごい魔法がかかっているんです。多様な人の感情を理解できるし、いろんな人生を生きることができる。

一人ひとりの子どもが主人公として成功体験ができる舞台をつくろう!と思いついた時、自分が宝塚にいたことの意味や価値は、ここにあったんだと思いました」支え合ってきた同期に声をかけると、喜んで参加してくれる仲間が何人も現れた。

 

「なりきりステージ」で子どもたちが変わる

あんじさんは一人遊びを好み、想像力豊かで、よく物語の世界に入っていた。その幼少期の自分に、物語の世界でどんな冒険をしたいか問いかけながら、作品を作っていった。

その舞台を、登場人物になりきって歌ったり踊ったりする「なりきりステージ」と名付けた。テーマは「命を守る」。大好きな童話「赤ずきん」で防犯、「桃太郎」ではいじめ防止、「三匹のこぶた」は防災を切り口にした。命を守るために何が大切で、どう行動すればよいのかを、舞台上で子どもたちと一緒に考え、冒険していくという構成である。

子どもたちは全員が主人公。桃太郎ならめいめいに好きな色の桃鉢巻きをつけ、誘導役のあんじさんとともに鬼退治の旅に出る。ところがいじめっ子だと思っていた鬼は、実は友だちがいないのが寂しくて嫌がらせをしていたのだと気付いてゆく。

単純な勧善懲悪ではなく、人の感情の複雑さや相手の立場を想像することの大切さ、命を守る行動をやさしい言葉で体を使いながら伝えていくのである。

もちろん、厳しい経験をした心が一度の舞台で変わるのは難しい。しかし、二度、三度と体験するうちに子どもが変化していくという。「無表情で動こうとしなかった子が、舞台のセンターで踊り始めた時は、先生たちもすごく驚おどろいていました」

あんじさん自身も変わった。「私はずっと『希望があれば人は生きていける』と思っていました。でも東北でたくさんの人と出会い、『悲しみから生まれる力』を教えてもらいました」

亡くなった娘さんの名前をつけて民泊を始めた家族がいる。安全だと信じた小学校で子どもを亡くした両親は「過ちを明らかにして今後に生かして」と裁判を起こした。大きな悲しみを力に変え、前に進もうとする人の姿を何度も見てきた。

「私にも何が起きるかわかりませんが、悲しみに沈むことがあっても、どこかで必ず力に変えていける時がくると思えるようになりました。そして自分だけでなく、自分とは考えや価値観の違う人の力も理解できるようになりたいと思っています」まっすぐな言葉に、あんじさんが誠実に歩んできた道のりが浮かび上がって見えた。

 

妃乃あんじさんが思いを語るWEBページはこちら
https://www.nezas.jp/news/dialogue1.html

 

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