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生き方

「ここで喜んで、怒って、悲しんで!」…無意識に“感情の強要”をしてる人の怖さ

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年09月27日 公開 2023年07月26日 更新

「ここで喜んで、怒って、悲しんで!」…無意識に“感情の強要”をしてる人の怖さ

生きることが辛い人の心の底にあるものは何か。わたしたちはもっと自分にやさしく生きていいのではないか。

今まで多数の人生相談を受けてきた加藤諦三氏は、著書『自分にやさしく生きる心理学』にて、"依存心の強い人"に見られる特徴を解説する。

彼らの依存心は幼少期の記憶が深く関係しているというが、一体どういうことなのか。

※本稿は、加藤諦三 著『自分にやさしく生きる心理学』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

他人にある感情を強要するのは依存心の強い証拠である

依存心の強い者は、どうしても他人に感情を強要しがちである。そして、不思議なことにというべきか、当然のこととしてと言うべきか、そのように他人にある感情を強要する人は、逆に他人の感情のあり方によって深刻な影響を受ける。

ここで相手に喜んでもらいたい、ここで相手に悲しんでもらいたい、ここで相手に怒ってもらいたい、ここで相手に淋しがってもらいたい、ここで相手に驚いてもらいたい…、このことを話したら相手に機嫌よくなってもらいたい…等々、いろいろな要求を持つ。そして要求を持つだけならいいが、そのように強要する。

ある感情を相手に強要するという人は、感情の自律性を獲得できていないのである。小さい子を見ていればわかる。母親に何かを見せて"おどろいたでしょ"と言う。母親にある感情を強要してくる。そして、その時、母親が驚かなければ、「ウーン」と不服不満の声をあげる。とたんに機嫌が悪くなるのである。

小さな子供は自分の感情が母親の感情に依存しているからこそ、母親の感情に対して支配的になるのである。小さな子は、自分の感情が母親に依存しているからこそ、母親に過大な要求を持つのである。

依存的なものは強要的にならざるを得ない。そして強要的なものは、傷つきやすくならざるを得ないであろう。そしてこのように他人への強要性の強い者は、また時に過度に自責的でもある。

内にあっては強要性、外にあっては自責性。外にあっては、恐れと不安から過度に自責的となり、内にあっては、甘えから強要性が前面に出る。

しかも、内にあっては強要的であるばかりでなく、搾取的なのである。

 

内弁慶の人間の態度があれほど内と外とで変わるワケ

ある人に対しては自己犠牲的に尽くすくせに、別の人に対しては自己犠牲的献身を求める。そして、その人が自分に献身的に尽くさなければ、ものすごく不満になる。

ある人にはマゾヒスティックに尽くし、別の人にはサディスティックに献身を求める。ある人に対しては自分を殺して、極端に自己抑制的となる。それでいながら、別の人に対してはいかんなく強要性と搾取性を発揮する。

その隠れたる真の動機は何か? やはり何よりも、その人のなかに残っている幼児性であろう。

小さい子供が、母親にきわめて強要的であることは先に書いた。またきわめて搾取的である。小さい子は、母親の気持ちや立場や個性などまったく無視して、自分に尽くすことを求める。また同じように相手の気持ちを無視して、何かをしてあげようとすることもある。

一般に母親との関係を見れば、強要性と搾取性を特徴とする人間関係がわかる。それでいて、外に対しては恐れと不安を抱く。やはり他人と親密になる能力が欠如しているのである。

他人と親密になる能力が欠如しているからこそ、外側の他人に自己犠牲的に尽くしてしまうのであろう。外面をよくしてしまい、自己抑制的になってしまうのは、外に対して不安と恐れがあるからであろう。

内弁慶という言葉があるが、強要性と搾取性は内弁慶ということであろう。

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謙遜の仮面をかぶった人間は親しくなるにつれ図々しくなる

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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