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周囲に好かれようとして嫌われ…「みじめさを売る人」の悲しい末路

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年12月01日 公開 2024年12月16日 更新

周囲に好かれようとして嫌われ…「みじめさを売る人」の悲しい末路

社会的にも肉体的にも厳しい環境の中でも明るく生きている人がいる。逆に恵まれている環境の中でいつも自分の不幸を嘆いている人がいる。

早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏は著書『悩まずにはいられない人』にて、「私はこんなにみじめだ」とわざわざ周囲に嘆く"みじめ依存症"になっている人の特徴を語る。

みじめ依存症の人は過去の中で生きているというが、それはどういうことなのか。同書より詳しく解説していく。

※本稿は、加藤諦三 著『悩まずにはいられない人』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

みじめ依存症とは何か

アルコールを飲んでいる人が、みんなアルコール依存症ではない。嘆いている人が、みんなみじめ依存症ではない。

みじめ依存症とは、依存症という名のとおり、そうしないではいられないことである。

つまり、みじめさを誇示しても問題は解決しないと分かっても、みじめさを誇示しないではいられない。みじめさを誇示するのを止めようと思ってもやめられない。

嘆いている人で、こんなことをしていても自分の将来に何も良いことはないと思って、嘆くのをやめれば、この人はみじめ依存症ではない。嘆くことが、どんなに無意味だと思っても、やめられない人がみじめ依存症である。

わざわざ「私はこんなにみじめだ」と嘆きに来る人がいる。解決の意志があれば、みじめ依存症ではない。みじめ依存症の人は解決が目的ではなく、「私はこんなにみじめだ」と嘆くことが目的である。

憂うつな顔をしてメソメソ泣いてみじめさを誇示して、みんなを暗い気持ちにして、それでいて「誰も私を愛してくれない」と言っている人は、みじめ依存症である。

暗い映画館で一人で泣いて、映画のヒーローを観て、自分を奮い立たせて映画館を出てくる人は、みじめ依存症ではない。

妻が夫の暴力を嘆く。夫の浮気を嘆く。夫が働かないと言って嘆く。でも別れようとしない。

妻が不倫をしていると夫が嘆く、妻は食事を作ってくれないと夫が嘆く。でも別れようとしない。

小さい頃、自分とかかわった人がそういう人たちばかりだったということである。そこでいまある関係を壊せない。どんなに不幸でも、いまある関係にしがみつく。

そこで、みんなが自分のことを「かわいそうだ」と騒いでくれれば満足する。

しかし、いくら「つらい」「みじめ」と嘆いても心の安らぎはない。みじめさの誇示は、間接的に表現された攻撃性である。

みじめさの誇示の裏には、周囲の人への隠された要求や攻撃性がある。自分のみじめさを誇示する動機は、「あなたにも私と同じように不幸になってほしい」というものである。

 

現実を認めず勝手に関係を決める

私たちはよく被害者意識について語るが、被害者意識は攻撃性の変装した意識である。

何事も被害者意識にたって、物を言う人の顔を見てみれば分かる。

自分が受けた被害を、これでもかこれでもかと強調する人がいる。調べてみると、現実の被害はほとんどない。

「あのことにこんなに時間を取られた」「あの人にこんな酷いことを言われた」「私は夫の言葉の虐待に遭いました」と騒ぐ。

これは、怒りの間接的表現である。相手に腹を立てている。相手が嫌い。相手の顔も見たくない。

でも「あなたが嫌いです」と言えない。言えないのは、相手に対する依存心があるからである。自分のほうが心理的に弱い立場に立っている。悔しい。だからどうにもできない。

みじめ依存症の人は「つらい!」と訴えたい時に、「つらい!」ということを辺りかまわず訴える。

自分が誰に苦しみを訴えているのかを選択していない。豚にでもコオロギにでも女にでも男にでも「つらい!」と訴える。

訴えている人は、自分は誰かれかまわず訴えていることに気がついていない。男にも女にも豚にもコオロギにも同じに訴えていることに気がついていない。

みじめ依存症の人は庭を掃きながら、箒(ほうき)にも「つらい」と言っている。

みじめ依存症の人のように、やたらにみじめを売ったら相手はこちらを嫌いになる。

ジョージ・ウェインバーグは、自己憐憫の第一の問題は「ほかの人間の迷惑になるのです(註54)」と書いている。

「結婚してからいつも一人です。初めの頃は泣きながら、我慢していました。家にポツンと一人残されて」「こんな思いをするために結婚したんじゃない」と彼女は自分を哀れむが、離婚しようとはしない。

世の中には自分から積極的に何かをしないで、彼女のようにいつも自分の状況を嘆いているだけの人は多い。そして同情を求める。同情を求める度に、自分は一人で立っていられないという自己イメージを強化してしまう。

みじめ依存症の人はみじめさを訴える相手を間違えている。みじめを売ったら、相手はこちらを嫌いになる。

みじめさを売って相手が自分を慰めてくれるのは、どういう時であろうか。みじめさを売って慰めてくれるのは、相手が自分に愛がある時である。愛があってはじめて慰みが行われる。他人は逃げる。

みじめ依存症の人は、人間関係が分かっていない。

みじめを売っている人は親子関係の体験がない。生物的な親がいても心理的に親の機能を果たしていない。接する人を親とみなしてしまう。そしてみじめさを訴える。しかし相手から迷惑がられるだけである。

そしてあの有名な台詞である。「誰も私のことを分かってくれない」になる。

みじめ依存症の人は、そうした人間関係が分かっていない。相手の立場に立って物を考えられないからである。

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過去の中で生きているから進めない

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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