離婚を決意した途端に、その女性の周りから、彼女をいじめる人や騙そうとする人があっという間に消えたという。それは、なぜなのか? 加藤諦三氏は「誰にも舐められない、搾取されない心のあり方」があると語る。
※本稿は、加藤諦三著『心の免疫力「先の見えない不安」に立ち向かう』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。
いじめられていた女性の決意
離婚を決意した女性である。夫はまさに「外で子羊、家で狼」。そこで離婚を決意した。ところが離婚を申し出た途端、夫は激変した。
洗濯から料理まで、「そこまでしなくていいよ」というほど家の仕事をしだした。家で狼ではなくなった。
この女性が離婚を決意するまでは、夫は妻に甘えていたのである。ところが妻が静かに決意した。その決意は本気だった。
同じような話である。
ある女性が小さい頃からいじめられていた。夫からもいじめられていた。そこで離婚を決意した。この決意は本気だった。
「これからは一人で自分の足で歩いて行くのだ」と思った。子どもたちを「私が守るのだ」と決意した。そうしたら、自分をいじめていた周りの人たちが、どこかへキレイにいなくなった。
離婚届を出しに行く時に「光りに向かって走っているようで、先が輝いていた」という。
人をいじめる人は、戦わない人をいじめる。ファイティング・スピリットのない人をいじめる。レジリエンスのある人のいう、You can fight back.である。
彼女の本気の決意が、周囲のいじめる人を寄せつけなくしたのである。
まさに彼女はレジリエンスを持ったのである。彼女はこれから子どもを抱えて生きていく。しかし、この子たちを「私が守るのだ」と決意している。
レジリエンスのある人は、本当にもの凄いことは「決意」だという。
あるレジリエンスのある人の言葉である。「私が持っている最大のものは『決意』である、と思う」
離婚を決意した彼女の周りから、いじめる人が消えた。ずるい人は決意しない人の周りに集まる。
「辛い状況」に甘んじるとさらに辛くなる
ずるい人、噓つき、弱虫、虚勢を張る人、怠け者、ひがむ人、利己主義者、卑怯な人は、戦わない人をいじめる。戦わない人から搾取する。
そういう人たちは、決意した人から逃げる。だから、先の彼女の周りから自然と消えたのである。
彼女が離婚を決意しなければ、子どもは「私が守るのだ」と決意しなければ、どうなったか。
彼女がボロボロになって破滅するまで、彼女の周りの人は彼女から搾取し続けるだろう。彼女の周りにいる人はハゲタカなのである。
財産よりも、名声よりも、権力よりも、何よりも強いものは「決意」だと彼女は感じたのだろう。
離婚の届けを出しに行く時に「光りに向かって走っているようで、先が輝いていた」と言う彼女こそレジリエンスのある人である。
彼女だって「私は皆にいじめられて、殺されます」と惨めさを誇示し続けて人生を終えるのかもしれなかった。いや、ほとんどの人はそうして人生を終えていく。
レジリエンスのある人と違って、「虐待に甘んじる」人がいる。いじめられても反撃できない。搾取タイプの人にやられっぱなし。
とにかく誰にでも舐められている。本来、自分を護ってくれるべき人からもいじめられる。
たとえば、弁護士とか離婚調停の裁判調停員からもいじめられ、虐待される。
愛人の存在を許す。受け入れてしまう。それは虐待を許すのと同じである。
自己蔑視の心理的特徴である。自己蔑視は自己疎外でもある。自分がない。
自己蔑視には四つの特徴がある。つまり、比較する、虐待を許す、傷つきやすい、強迫的名声を追求する。
虐待を許すのも自己憎悪が原因のことが多い。元々は、他者を憎んでいる。その憎しみが自分に向いて自己憎悪となっている。
小さい頃の、いじめられたことに対する憎しみが、自分に向きを変えて自己憎悪になる。地獄に生まれた人だけが知る辛さから不死鳥のように蘇るには、レジリエンスを学ぶことである。
過酷な自分の運命を受け入れる。そして自分を正しく理解するしか、生き延びる道はない。