米スタンフォード大教授から見た「息ができない」日本社会の現状
2021年10月19日 公開 2024年12月16日 更新
「人生というのは、終わりのない喪失の連続にいつもどこかで苦しめられながら進んでいくもの」。そう語るスティーヴン・マーフィ重松氏は、すでに世界で広く行なわれているマインドフルネスを超えた「ハートフルネス」をスタンフォード大学で教えている人物だ。彼は、それをとおして自分が何者であるかを知ることが重要だと説く――。
※本稿は、大野和基インタビュー・編『自由の奪還』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。
マインドフルネスの先にある「ハートフルネス」
――あなたは、米ハーバード大学大学院を卒業し、いまや世界中でマインドフルネスやハートフルネスの講義をしていますが、それまでに多くの苦難があったと語っています。人生において人が成功できるか否かは、生まれ育った環境によると思いますか?あるいは誰しもに同じようにチャンスが与えられているのでしょうか。
【重松】私は確かに恵まれた環境に生まれてきました。アメリカ人の父と日本人の母をもち、幼少時は日本で育ちました。終戦後の日米関係は良好とはいえない状況でしたが、それでも日本の家族は私たちを迎え入れ、愛情をたっぷり注いでくれた。
その後、私たち家族はアメリカへ渡ります。父方の親族はアイルランドからの移民でしたが、日本人の血が入った我々を受け入れてくれました。家族が私のことを心から信頼し、教育の力を信じていたのも恵まれていたと思います。
一方で、1950年代のアメリカは日本人への差別意識が強く残る時代でした。そのため母親からは「白人より努力し、つねに勝たないといけない」と鼓舞され、一生懸命に努力を重ねました。教育が将来の成功につながる実感があったので、そこまで努力を重ねることができたのだと思います。
進学に関していえば、うちは裕福な家庭ではなかったので、三人の兄弟はすべて州立大学に行くほかに選択肢はありませんでした。私がハーバード大学大学院に進学できたのは、奨学金を得ることができたからで、非常に運がよかったともいえます。しかし、教育の力を信じて努力したことは確かです。現在はスタンフォード大学で教鞭を執っていますが、ここに辿り着くまでにも相当の努力を重ねました。
――瞑想やヨガを推奨していますが、実践することでどのような効果が得られるのでしょうか。
【重松】瞑想やヨガは、すべてマインドフルネスにつながります。実践することで自己の内面に集中でき、groundedな(地に足の着いた)状態になります。自分が何者であるかを深く知る手助けになるのです。ヨガを行なうと、自分の体の中、ひいてはmindの中で何が起きているかをより意識するようになります。
瞑想状態、つまり思考と感情により意識的になれる状態に入り、それが自分の感情や衝動をコントロールする助けになるのです。それは同時に、他人の気持ちを察する能力を養うことにもなる気がします。ゆえに、社会的関係を築く一助になるともいえます。
また瞑想やヨガにおいて、呼吸は何よりも重要なファクターです。精神や魂の意味をもつspirit(精神、魂)という単語は、ラテン語が語源でbreath(呼吸)という意味を示します。そこから見ても、呼吸は人間のもっとも基本的な要素であることがわかります。
――続いて、一般的にいわれるマインドフルネスと、あなたが説くハートフルネスの違いを教えてください。
【重松】英語では、「mind」と「heart」は昔からずっと別のものとされています。mindは、脳、認知能力、合理的・ロジカルな思考をする機能に関係していて、heartは感情に起因している。よってマインドフルネスは、脳の認知機能に関連づけられることが大半だと思います。
科学に結びつけられることも多いですし、巨大ビジネスやテクノロジーと密接なつながりがあるという意味で、ウェルビーイング(持続的幸福)の商業化に結びつけられることも多いです。マインドフルネス・ビジネスは莫大な利益を生み出していますから。
そんなマインドフルネスから切り離したいと思ったのが、ハートフルネスです。「念」という漢字に「心(heart)」の字が入っていることからもわかるように、heartには人間の心身全体という概念があるように思います。私がスタンフォード大学の講義で成し遂げようとしているのは、教育にheartを取り戻すことです。
とくにスタンフォードのような高レベルの大学では、教育からheartとsoul(魂)が排除されてしまい、教育は脳の機能だけを使うものだと考えられている。でも我々は感情からも、感情を豊かにするアートからも、数えきれないほどの物事を学びますよね。
人の気持ちを変えるよりも、自分の行動や気持ちに集中すべき
――困難や逆境が訪れたとき、乗り越えられる人と諦めてしまう人の差はどこにあるのでしょうか。
【重松】人生には避けることのできない困難がある、という現実を直視する心構えができているか否かではないかと思います。現実を否定し、見て見ぬふりをするのは、最終的にはharmful(有害、ためにならない)になります。
多くの人は、自分はいままで鋼の意志で絶え間ない努力を続けてきたのにどうしてこんな目に遭うのか、と嘆きますが、そういった人は同時に、忍耐力を身につける必要性も実感しています。つまり、現在のパンデミックのように、自分ではコントロールできない状況を受け入れる必要性を感じているのです。
私の授業を取る生徒のなかには、自分の病気や親の死、あるいは深刻なトラウマなど、誰からみても困難な経験をしてきた人たちがいます。彼らはハートフルネスの教育を受けることで、人生をよりよく生きる勇気が得られると感じているようです。
一方で、大きな苦難に遭遇してこなかった者もいる。しかし彼らは、授業が進むにつれて、どんな人にでもいずれは困難が訪れる、と理解できるようになります。人生というのは、終わりのない喪失の連続にいつもどこかで苦しめられながら進んでいくものだからです。
スタンフォードに進むような優秀な学生でも、大学を卒業して社会に出ると、予期せぬあらゆる苦難を経験することが多い。ハートフルネスはそれに備えるための助けになったと話してくれる生徒が何人もいました。とくにこのパンデミックの真っただ中で、この価値を実感する人が増えているのは間違いないでしょう。
――著書『ハートフルネス』(大和書房)で、神学者のラインホルド・ニーバーの言葉「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えられるものを変える勇気を、そして、その両者を区別する賢さを与えてください」を引用しています。変えられないものと、変えられるものの区別をどうつければいいでしょうか。
【重松】その違いを区別できる境地に達したとき、そうだとわかるために瞑想やヨガなどの実践が大切になるんでしょうね。そのためには自分が何者か、自分には何ができるのか、あるいは何ができないのかについて、絶えず感覚を研ぎ澄ましておく必要があると思います。
そうして感度を高めていれば、自分の限界に達したときに「もうだめだ、いまは休まなければ。ずっとがんばってきたが、これはできない」と自然に感じることができます。自己受容に必須な考え方は、ヴァルネラビリティ(開かれた弱さ)の感覚と謙虚さです。
最大限の努力を尽くし、きっと変えられると思ったことが実際には不可能だったとき、我々はその事実を受け入れなければなりませんが、このような「受容」はいま、「変化」することよりも重要になってきています。「できないことを認める」という行為は、つねに試練となる。そういった壁にぶつかったとき、やはりマインドフルネスの実践が助けになります。
――たとえば、人の気持ちは変えられるものに入るのでしょうか。
【重松】いえ、変えられないものだと考えたほうが幸せになれるでしょう。人の感情を無理やり変えるよりも、自分の行動や気持ちに集中すべきです。相手が恋人であろうと誰であろうと同じですが「人の気持ちは変えられるもの」という勘違いがあるからこそ、それが思い通りにならないと不幸な気持ちが芽生える。
これもたったいま述べた「受容」の一つですが、人の気持ちは変えられないという事実を受け入れ、それよりも自分の行動や態度を変えるために何ができるかを考えて、相手を変えたいという欲望を解き放ったほうがいいのです。