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生き方

「このままでは済まねえようにしてやる」後輩・談生を先に昇進させた立川談志の真意

立川談慶(落語家)

2021年12月16日 公開

 

談生は私に発破をかけてくれていた

振り返れば、談生とは同い年ということもあり、すぐに仲良くなり、二人会形式で勉強会も始めた間柄でしたが、彼はいつも健気に「兄さん、一緒に二つ目になりましょう」と誘ってくれていました。

「中野の図書館に、師匠が覚えておけといっていた小唄の音源があります」
「師匠の好みの踊りの当て振り考えました」
「師匠の好きな講釈の速記本、コピーします」

当時所帯を持っての入門という切迫感と責任感からか、彼の、師匠の好みの歌舞音曲に対して取り組む姿勢が異様に見えました。いや、異様に見えた時点でもうすでに私は負けていたということです。悲しいかな、悔しいかな、即座に敗北は認めました。

師匠から与えられた猶予という「自由」を完全にはき違えていた私でした。しつこいくらいに私に発破をかけてくれていた談生から、私は「そんなに頑張っても無駄だよ。どうせ順番で二つ目になるんだから」とばかりにいつも逃げていました。

業を煮やしたのは、師匠だけではなく彼もそうだったはずだろうと思います。私より師匠の近くにいた彼のほうが、談志の本気度により忠実だったのです。

 

立川談志の歌舞音曲へのこだわり

円熟期の50代半ばを過ぎ、60代近くになった談志からしてみれば、老境にさしかかる時期でした。自分の落語のみならず後世に残るという意味では、弟子たちもその作品群の中の一つであったのでしょう。私の入門3年目あたりから、異常に歌舞音曲にこだわりを見せ始めました。

「俺なら、テレビでたけしや所(ジョージ)と普通のしゃべりでも立ち合うことは出来るが、お前らは伝統芸能の延長線上にいるんだ。だったら踊りや唄にいそしむべきだ」

「前座という、落語家になりたての一時期、気合を入れて唄や踊りに没頭する時期があってもいいはずだ」

当時は「落語はイリュージョンだ」と定義し始めた時期で、後年それをさらに昇華させ「江戸の風」を説いたことを考えると、談志の思想変換の萌芽が、そこに垣間見えます。その端境期を認識するセンスの有無が、談生と自分の差だったのでしょう。

「なぜもっと師匠の言葉に敏感になれなかったのか」。今さらながらつぶやくのみです。

「談志師匠は情がなさすぎだねえ」
「談生は師匠が機嫌いい時に二つ目になったんだろ」
「二つ目なんか順番でいいじゃない。真打ちじゃないんだから」

師匠への恨みつらみを先読みしたような物わかりのいいお客さんから、そんな言葉もたくさん賜りました。「まるで悪魔だね」。そこまで言った人もいます(師匠に対してそう言わせてしまった私のほうがよほど悪魔なのに、です)。

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どうして談生を私より先に昇進させたのか

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