京都の喫茶店で、店員がポットやカップを並べる仕草に心惹かれる
――アンさんは過去に日本に取材や大学の特別講師として来日されていますが、インスパイアされた日本の文化や芸術があれば教えてください。
【アン】雑誌記者の仕事をしていた1986年、出張で半月ほど東京に滞在しました。講談社や美術手帖など雑誌社を訪れ、東京都美術館で開かれたナムジュン・パイクの回顧展を取材しました。
その時に国立博物館で見た繊細で感覚的な日本の古美術に惹かれました。同じ博物館に展示されていた江戸時代の刀や鎧と劇的な対比を成していたことが、とても印象的で記憶に残っています。
――来日された際の、記憶に残るエピソードがあれば教えてください。
【アン】色々ありますが、京都で小さな喫茶店に入ってコーヒーをオーダーした時、店員がお菓子の小皿とポットやカップを並べる仕草に、特に心惹かれました。まるで囲碁棋士が慎み深い動作で碁石を打つように、器をひとつずつ私の前に置く様子を見ながら、店員が器に話しかけている気がしました。
レストランや旅館などでも、何度も同じような気持ちになりました。日本ではモノを空間に置く作法とそれを扱う人々の仕草が、祭儀のように一種の沈黙の言語として普遍的に使われているのだと感じました。
RMが文化芸術の真摯な仲介者として、自分の時間を割くのはすごいこと
――本書はRMの投稿によって、日本に紹介され私たちは本書の存在を知り、内容にひかれて本書を日本で刊行させていただきたいと考えました。それはまるで本書に掲載された「風になる方法」の種を運ぶ風の役目をRMが果たしたように思えます。
まさに「書物」も静物ではないようです。種に対する「風」が果たす役割は、文化、芸術におけるその紹介者として活動しているBTSの姿とも重なります。このことをどう感じられたでしょうか。
【アン】まったく予想外のことでした。5月に釜山国際ギャラリーで開いた個展に、RMが来ました。意外にもRMがわたしに本をさし出しサインをしてほしいと言うので、何気なくサインをしたんです。すっかり忘れていた数週間後、出版社に本の注文が殺到していると聞きました。
本書の最後のエッセイ「はがき」で、自分の文章を「宛先のないガラス瓶に入った手紙」に例えましたが、突然多くの読者から注目を浴びるようになったのが信じられません。私が書いた文章の数々が見知らぬ遠くの誰かに共感と癒しを与えるのは、著者としてこの上ない喜びであり幸運です。
読者の中には、私の文章から得た小さな種から生まれた新しい木を育てる方もいるかもしれません。それと同じように、私も誰かから得た種で、この文章を育んだのです。RMには感謝のあいさつもまだできていませんが、多忙なRMが、文化芸術の真摯な仲介者として自分の時間を割くのは、本当にすごいことだと思います。
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コロナの影響で芸術のあり方、役割も変わってきているのか?