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社会

稼げない男は、男じゃない?…妻の姓を選んだ社会学者が問い直す「男らしさ」

中井治郎(社会学者)

2022年01月31日 公開

稼げない男は、男じゃない?…妻の姓を選んだ社会学者が問い直す「男らしさ」

夫婦同氏制が現存するのは、世界で唯一日本だけ――。そんな中、妻の姓になることを選んだ社会学者の中井治郎氏。本記事では、現在の日本社会における「男らしさの意味」について、語っていただいた。

※本稿は、中井治郎『日本のふしぎな夫婦同姓』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。

 

稼げない男は「合わせる顔がない」?

この国の「稼ぐ男」たちにとってのボーナスタイムが終わってから、さらに30年が過ぎた。結局この30年の間にこの国で起こったことといえば、所得の低下や雇用の流動化というのっぴきならない台所事情が、なし崩し的にわれわれを「男も女のパンツを洗う時代」へと押し流したということだった。

男たちの実感としても、どこへ向かって流されているのかも分からない奔流に揉まれながら、とにかく必死に「男の沽券」にしがみついているといったところだろう。結婚改姓の際に男たちが見せる頑固さや、空回りするほどの稼ぎ主としての自負。どうにもわれわれの往生際の悪さばかり目立つが、それもやはり、この奔流の先行きが見えないことの不安の裏返しだ。

日本の男たちが稼ぎ主であることにこだわってきたのは、結婚や家族にとっての男の存在価値はそれによってしか証明できないという、切実さによるものであった。日本の男たちのプライドは長らく、家族を養うことに直結されてきた。

私生活や家庭生活を犠牲にしてでも会社に人生のすべてを捧げるこの国の男たちの生き方も、そうすることでしか彼らは自分の存在を許すことができなかったからである。そうしないと「妻に合わせる顔がない」のだ。

そして男稼ぎが不安定化する脱工業化の時代がやってくると、欧州では誰かと同居すること、そして夫婦の共稼ぎ化を進めることでそれを乗り切ろうとする動きが始まる。しかし日本の男たちは逆に性愛や結婚から撤退し始めた。

近年盛んになった相談所やアプリを介した婚活市場でさえも、収入が不安定な女性はそれがゆえに結婚を望んで参入するが、収入が不安定な男性は最初から参入をあきらめてしまう場合が多いという。
 
男女とも上昇し続けている生涯未婚率であるが、これも当然ながら男性の方が高い。男性にすると、「稼げない自分」は結婚を望む女性に「合わせる顔がない」ということなのだ。

 

男たちは自分の存在価値が「稼ぎ」に連結される音を聞く

かくいう僕自身も、(われながら呑気なものだと思うが)結婚を意識した時に初めて、自分の稼ぎと自分の存在価値が、ガチャンと連結される音が耳元に重く響くのを、たしかに聞いた。自分がこの人のそばにいても許されるのだろうかと、相手にとっての自分の価値を「稼ぎ」によって測ってしまう感覚と言い換えてもいいかもしれない。

そもそも僕は「男の沽券」など微塵も感じたことがない人間である。このような「稼ぎ」へのこだわりなど、それまで自覚していた自意識からはまったく異質なものであった。そのため、「え、なにこれ⁉」とすっかり狼狽してしまったのをよく覚えている。自分のなかにこんな生々しく男くさい部分があったのかという驚きである。

それと同時に「合わせる顔がない」という恥ずかしさが湧き上がる。いたたまれない気持ちでいっぱいになる。思わず逃げ出したくなるのを、こんなことで退いてたまるかという意地だけで踏みとどまるのに必死だった。「こんなこと」とはもちろん、その時初めて自分のなかにどっしりと根を張っていることを知った「男らしさ」である。

この時代に性愛や結婚から撤退した男たちは「男らしくない」のではない。むしろ、そのうちの少なくない人々は自分のなかの「男らしさ」と心中しようとしているのかもしれない。そんなことを痛感した。不自由なんてものではない。これは生存に関わるミスマッチである。

たとえ以前ほどには女性たちが男性に大黒柱としての役割を求めなくなっているとしても、この国の男たちの耳元には昭和の時代から変わらず自分の価値と稼ぎを連結する音が響き続けている。それが彼らを追い立てる空耳なのだろう。

あの日に初めて僕の存在価値にガチャンと連結されたのが、重い荷物を満載した貨車なのか、それとも高らかに汽笛を鳴らして僕をさらに遠くへ引っ張っていく機関車なのかは、いまだに分からない。しかし、きっといまも、恋愛市場や婚活戦線で立ち尽くす若い男たちの耳元には同じ音が響いている。

新しい時代には新しい役割と自負があってしかるべきだ。男がかつてほど稼げない時代であるならば、新たな役割と自負を獲得すべきである。そのことにはまったく異論もない。しかし、それは言うに易い正論ではあっても、実際にはなかなかそんな簡単なものではないようだ。

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「傷ついてもいい権利」を男たちに

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