日本は630兆円をドブに捨てた
そして、最大の愚行は、その使い道である。
実は日本では、公共投資というのは、非常に税金の無駄遣いになりやすいものである。
当時、公共投資というのは、政治家に食い物にされていた(もちろん今でもあまり変わっていない)。有力な国会議員が、地元に公共投資を誘致することで、その政治手腕を誇示する。それにより政治資金や支持者を集めるというのが、政治家の有力な選挙戦略となっていたのだ。
当時の日本では、建設業者は政治家を強力に支持する母体になっていた(今でもその傾向はある)。建設業者は、支持者を集めるだけではなく、政治資金も提供してくれるからである。
つまり、日本で公共投資を増やせば、それは真に国民のためになることには使われず、政治家と建設業者の利権に費消されてしまう、ということである。
当時の日本では実際に、その通りのことが起きてしまった。
日本は630兆円もの巨額のお金を愚にもつかない箱モノをつくったり、無駄な道路をつくるばかりで浪費してしまったのだ。
そしてこの巨額の公共投資は、バブル崩壊後の景気浮揚にも何ら貢献しなかった。
そもそも公共投資というのは、ただそれをやれば、経済が活性化するというものではない。公共投資を誘致すれば、一時的にその地域の経済は上向く。巨額のお金が地域に落ちるからである。だから一見、景気対策になるようにも見える。
しかし公共投資は、その地域に真に経済力をつける施策ではない。公共投資というのは、一時的な痛み止め、モルヒネのようなものなのだ。
公共投資を請け負う建設業界というのは、大手→下請け→孫請け、と、ピラミッド式の構造となっている。
もちろん大手がもっとも多く取り、下に行くほど取り分は減る。末端の労働者に届くお金は、わずかなものである。
しかも公共投資の受注は、政治家にコネがある者や地域の有力者を中心に行われる。国民全体が潤うものではなく、特定の者が繰り返し潤うというものである。
だから公共投資費は、真に景気を刺激するものでもなければ、大きな雇用を生み出すものでもないのだ。
そして公共投資に依存する体質になってしまうと、常に税金に頼っていかなければならなくなる。つまり真に自立した経済力を持てないのである。