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佐渡裕× 松下正幸 リーダーとして、現場監督としての指揮者哲学

「志」対談

2018年09月03日 公開 2018年09月04日 更新

佐渡裕× 松下正幸 リーダーとして、現場監督としての指揮者哲学

祖父・松下幸之助の「志」を引き継ぐ松下正幸が、各界VIPが抱く強い志の核心に迫るシリーズ。今回は、マネジメント誌「衆知」2018年5-6月号掲載、指揮者の佐渡裕氏との巻頭対談より、その一部をご紹介します。


 

「音楽の力」を信じ、世界中の人に伝え続けたい

故レナード・バーンスタインと小澤征爾氏という巨匠に見出され、指揮者として世界の音楽界で活躍する佐渡裕氏。世界が認めるその才能はどのように育まれたのか。そして音楽の素晴らしさをどのように伝えようとしているのか。本対談では、佐渡氏の音楽人生の原点から、世界の舞台で培ったリーダーシップとコミュニケーションの実践哲学、それを支える強い信念までを熱く語っていただいた。

取材・構成:平出 浩 写真撮影:吉田和本
 

佐渡裕・指揮者
さど・ゆたか。1961年、京都市生まれ。京都市立芸術大学卒業。故レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事。2015年よりトーンキュンストラー管弦楽団音楽監督に就任。国内では兵庫県立芸術文化センター芸術監督、シエナ・ウインド・オーケストラの首席指揮者を務める。著書に『棒を振る人生』(PHP文庫)など多数。

松下正幸(パナソニック副会長、PHP研究所会長)
まつした・まさゆき。1945年生まれ。’68年慶應義塾大学経済学部卒。’68年松下電器産業入社後、海外留学。’96年に同社副社長就任。2000年から副会長。関西経済連合会の副会長を務める一方で、サッカーJリーグのガンバ大阪の取締役(非常勤)を務めるなど、文化・教育・スポーツの分野にも貢献する。

 

師と仰いだ巨匠・小澤征爾とバーンスタイン

松下 佐渡さんは小澤征爾さんとレナード・バーンスタインさんに師事されていましたね。それぞれどんな方ですか。

佐渡 小澤先生がいらっしゃらなければ、私は指揮者に憧れていなかったでしょうね。
小澤先生はトロント交響楽団やサンフランシスコ交響楽団、そしてボストン交響楽団の指揮者になって、世界の音楽を動かしていました。ほかの指揮者はみんな燕尾服を着ているのに、小澤先生は白いシャツを着て、ネックレスをつけて指揮をしたりしていた。風変わりだけど、格好いいなと。

松下 最初に憧れた指揮者ですか。

佐渡 そうですね。もちろん、カラヤンやバーンスタインも、憧れの対象でした。ただ、日本人の指揮者で世界に出ていった小澤先生は、私には特別な存在でした。小澤征爾という人がいなかったら、「世界に出ていこう」とは思わなかったかもしれません。
実際、私が海外に出るきっかけになったのは、タングルウッド音楽祭というアメリカの教育音楽祭のオーディションを受けて、審査員だった小澤先生に選んでいただいたからです。1987年に、そのタングルウッドに奨学生として参加し、ゲストとして滞在していたバーンスタインに会い、レッスンを受けました。小澤先生がいなかったら、バーンスタインとの出会いもなかったし、今の自分もなかったでしょうね。

松下 小澤征爾さんの存在は、佐渡さんにとってずいぶん大きかったのですね。

佐渡 小澤先生の背中ばかり見て、一生懸命追いかけようとしていた気がします。すごく気さくな方で、海外でご飯や飲みに連れていってもらったことも、何回もあります。

松下 小澤さんには追いついたでしょうか。

佐渡 どこかで小澤征爾に追いついてやろうと思っていましたが、今となれば、そんな考えは恥ずかしい限りです。
私は今、56歳なんですが、私が小澤先生に出会った頃、先生は確かそれぐらいの年齢でした。そこから先生はウィーンの国立歌劇場の音楽監督になって、それを10年ぐらい続けるんです。小澤先生の当時の決断や行動を改めて考えると、とんでもなく先にいる人だと思います。
小澤先生は世界に羽ばたく日本人指揮者の道を開拓した1人です。「日本人にクラシックがわかるはずがない」と考える西洋人が少なくない中、クラシックは世界中の人が理解し、感動を分かち合えるものだということを知らしめてくれた。そうして考えると、私は先生が切り開いた道を苦労なく走っているだけのように思えます。

松下 まさに日本人が誇るべき偉大な指揮者ですね。では、バーンスタインさんはどんな方ですか。

佐渡 バーンスタインは、小澤先生に紹介していただきました。当時、私の英語は本当にひどかったし、自分が日本人であることにどこかコンプレックスを持っていました。
そんな時に、バーンスタインに日本の伝統芸能について質問されたのですが、私は答えに窮してしまった。すると彼は、能の話を始めました。能のお面や衣装、動き、使われる楽器のことなど、とても詳しかった。それをアメリカ人の若い指揮者、70人くらいに延々と説明したのです。
そして最後に、私に「裕、握手しよう」と手を差し出しました。そして2人の手を20センチぐらいの距離で止めて、「できるだけ遅いスピードで近づけよう」と言うんです。動きを止めずに、極力ゆっくりと。

松下 能の世界ですね。

佐渡 はい。バーンスタイン特有のゲームでもあるでしょうね。2人の手がギリギリまで近づいても、「まだ触るな。もっと近づけ」と。すると、手と手が熱くなってくるんです。そして、突然彼がガッと私の手を握ったら、もう電気ショックが走ったみたいになった。
「今、手と手が近づいたのは、単純で退屈な動きだっただろう。でも、私と裕の手と手の間に生まれた集中力とエネルギーをみんなも感じたと思う。これは日本人特有の才能なんだ」。バーンスタインは若い指揮者たちを前に、そう話しました。
この時、私とバーンスタインとの言葉のコミュニケーションはほとんどなかったけれど、彼は日本人である私のよさを引き出そうとしてくれたのです。
「裕、お前はこの才能を使って、マーラーの遅い楽章を指揮してみろ」などとアドバイスもしてくれました。単に「がんばれ」と言うだけでなく、具体的な例を挙げて背中を押してくれる人でしたね。

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指揮者は建築現場の現場監督に似ている

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