ハイヒールはウンチを避けるため? 中世ヨーロッパの汚物事情
2022年09月20日 公開 2023年10月13日 更新
衛生全般の観念が弱い時代が続いた
ところが紀元500年までのローマ帝国の滅亡とともに、上水道は大部分が破壊され、上水道も下水道も中世末期までの長い間、暗黒の状態を続けました。トイレも姿を消しました。
当時のキリスト教の教えでは、いかなる肉欲もできる限り制すべきと、肉体をさらす入浴は罪深いとされて、公衆浴場、自家風呂は消え失せました。衛生観念が無視されたのです。
人々は洗礼を受けるときに全身を水に浸す以外、めったに全身浴することはありませんでした。服もあまり洗濯しなかったし、お風呂を利用しなかったので、体臭などをごまかすために、金持ちは全身に香水をふりまき、貧乏人はあたりに悪臭をふりまきました。
公衆浴場、自家風呂にかかわらず入浴という習慣が失われるにつれて、一般に屋内に風呂やトイレをつくることも消え失せました。屋外トイレ、野外の穴や溝トイレ、寝室用便器(しびん)は社会のあらゆる階層で当たり前になりました。
何百年もの間、病気は日常茶飯のことであり、いくつもの町や村が伝染病によって滅ぼされました。
ヨーロッパでは、1500年代の宗教改革の影響で、一層衛生観念は無視されるようになりました。プロテスタントとカトリックは、互いにどれほど相手より肉欲を抑制するかを競い合いました。人々は、ウンチ・オシッコを催せば、時、所かまわず、公然と用を足すようになりました。
たまりかねたイギリスの宮廷は、1589年、次のような御触れを出しました。
「何人であれ、食前、食事中、食後、朝であれ夜であれ、階段、廊下、納戸を尿またはその他の汚物でよごすべからず」
時、所かまわず、排尿・排便中の人がいたのですから、15〜16世紀の学者、人文主義者だったロッテルダムのエラスムス(1466~1536)が史上最古の礼儀作法の書において、「排尿・排便中の人に挨拶するのは不作法である」と述べているのは当然のことでしょう。
「ハイヒール」「マント」「紳士による淑女のエスコート」が生まれたのは
衛生問題は、寝室用便器(しびん)により、一層悪化しました。しびんの中身はしばしば路上にぶちまけられました。とくに、夜、2階の窓の下を歩くのは危険でした。
夜の闇に乗じて、こっそりとしびんを空にしたからです。道路や広場はウンチ・オシッコで汚れ放題。それらはほんの間に合わせで片付けるだけだったので地下にしみ込み、井戸を病原菌で汚染する結果になりました。
貴婦人たちの裾が広がったスカートも、どこでも用が足せるための形でした。17世紀初めにつくられたハイヒールは、汚物のぬかるみでドレスの裾を汚さないため考え出されたもので、当時はかかとだけなく爪先の方も高くなっていました。
中には全体が60センチメートルの高さのハイヒールまでありました。また、2階や3階の窓から捨てられるしびんの中身をよけるためにマントも必要になりました。
汚物の溢れる排水溝もあり、この頭上から降る危険のため、紳士は淑女が汚物から離れた道路の中側を歩くようエスコートする習慣ができたと考えられています。
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ヨーロッパが衛生観念に目覚めたのはコレラの大流行後