ハイヒールはウンチを避けるため? 中世ヨーロッパの汚物事情
2022年09月20日 公開 2023年10月13日 更新
トイレはどこで誕生し、どのように発展を遂げたのか? インダス文明から、中世ヨーロッパの衛生観念まで、歴史の中の汚物事情を、東京大学非常勤講師の左巻健男氏が紹介します。
※本稿は、左巻健男著『面白くて眠れなくなるウンチ学』(PHP研究所)より、内容を一部を抜粋・編集したものです。
遺跡からわかるトイレの最初
大昔の人々は、川、湖、わき水のそばなど、きれいな水がすぐに得られるところに住んでいました。経験的に自分のウンチが有害なことに気づいていたものと思われます。そこで、流れる水の近くで用を足しました。
わが国でトイレのことを、古くは「かわや」といいました。かわや(厠)は、川屋あるいは側屋と書きます。
「かわや」という言葉は、ウンチ・オシッコをするための建物を川の上につくって川に流したから、あるいは、家のかたわらまたは家から張り出してウンチ・オシッコをするための建物をつくったことから、生まれたといわれています。
遺跡からわかるトイレの最初は、紀元前3000年から前2000年の間にさかのぼります。それは、スコットランド沖のメインランド島にあるスカラブレイ遺跡とパキスタンにあるインダス文明のモヘンジョ・ダロ遺跡です。
スカラブレイ遺跡には、紀元前3100年頃から紀元前2500年頃の家屋群が残されていますが、各住居には原始的なトイレ(穴式トイレ)とそこから小川に通じる配管(下水管)がありました。そのため、外に行かずに屋内で用を足せるようになりました。
インダス文明(紀元前2600~前1800)のモヘンジョ・ダロ遺跡の特徴は、焼成レンガで建てられた建造物群ときわめて綿密に計算された都市計画プランにあります。
古代ヒンズー教徒にとって肉体を清潔に保つことが宗教上の戒律だったと考えられます。家庭用及び公衆用の風呂やトイレが発掘されています。各戸からの排水は、焼成レンガづくりの下水道へと導かれていました。
世界で初めて公衆トイレをつくった古代ローマ人
紀元前2世紀から、古代ローマ人は、大がかりな上水道を敷きました。数十キロメートルも離れたところからきれいな水を都市まで引き、主に地下を水路にしましたが、石材やレンガでアーチ構造の水道橋もつくり、さらに水の透明さを保つため、水道本管に沿ってため池や濾過池を設けました。
上下水道が整備され、汚物を水で洗い流すトイレもつくられました。公衆トイレもつくられており、1600個もの便器が1カ所から発掘されています。