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生き方

「やりたいこと、自分の進むべき道が分からない」と悩む人が訪れるべき場所

枡野俊明(禅寺の住職/大学教授/庭園デザイナー)

2022年08月23日 公開 2024年12月16日 更新

「やりたいこと、自分の進むべき道が分からない」と悩む人が訪れるべき場所

やりたいことが見つからない。やりたいことがあるけれど、やっぱり安全な道を選ぶほうがいいと思う……など、誰もが自分の人生に迷い、夢や目標が見えず手探りで日々を過ごしている人も少なくないでしょう。

そんな悩みに対して、曹洞宗徳雄山建功寺住職の枡野俊明さんは「本当はきっとほとんどの人は自分の進む道が見えているように思えます。自分の道が分からないのではなく、自分自身が勝手に分からなくしている」と答えます。

これまで数多の人生相談に乗ってきた枡野さんに、「禅の教え」の中から自分の進むべき道を見つけ歩んでいくための方法について尋ねました。

※本稿は、枡野俊明著『「幸福の種」はどこにある?  禅が教える人生の答え』(PHP文庫)から一部抜粋・編集したものです。

 

努力もせず、諦めてしまうのはもったいない

自分はどの道に進めばいいのだろうか。どんな仕事に就くのがいいのだろうか。自分の歩むべき人生の道はどこにあるのだろうか。

そんなふうに思い悩む人たちがいます。特に若い人たちは、20代で就職ということに直面します。

やりたいことが明確に見えていない。やりたいことがあるけれど、やっぱり安全な道を選ぶほうがいいと思う。自分にはこれしかないと思える人は意外と少ないように思います。多くの人たちは自分の歩むべき方向が明確に見えていません。

しかし私からすれば、本当はきっとほとんどの人は自分の進む道が見えているように思えます。進みたい道は見えているけれど、そこに向かって一歩を踏み出せないでいる。

自分の道が分からないのではなく、自分自身が勝手に分からなくしている。迷う気持ちを自分の中でつくり出しているような気がするのです。

たとえば小さいころから絵を描くことが好きで、絵を描く仕事をしたいと思っている。絵を描くことで生活ができれば、そんな幸せなことはない。

ところが現実を見た時に、とても絵で生計を立てるのは難しそうだと思ってしまう。

「絵で生活ができるはずはない」と決めつけて、本意ではない仕事に仕方なく就くことにする。それは、せっかく自分が進むべき道が見えているのに、その道を自らが拒否しているようなものです。

ある著名な画家がこのようにいっています。

「絵なんかじゃ食えない。世間の人たちはそう口をそろえていいます。でも、もし絵で生活ができないとすれば、この世から画商は消えてなくなるはずです。画家や芸術家という人たちもいなくなるでしょう。ところが現実的には画商という職業はなくなっていませんし、世界中に画家として生活している人はたくさんいます。つまり、絵なんかじゃ食えないという言い方は間違っている。正確にいうなら、あなたの絵では食えないということになるのです。だから私は、食えるような絵を描くために必死に努力をしてきたのです」と。

まさにその通りだと思います。

役者なんかじゃ食えない。会社を立ち上げることなんて無理だ。勝手に自分を納得させて諦めている人がたくさんいます。

そうではなく、あなたの芝居では食えない。そんな努力では会社など経営できないということ。ならば食えるような役者になる努力をすること。本当に会社を立ち上げたいのなら、寝る間も惜しんで仕事をすること。

そんな努力もせずに自分の道を諦めてしまうのは、とてももったいないことではないでしょうか。

どんな道も険しいものです。平坦で楽な道ばかりを歩いていれば、そこに充足感や達成感などは生まれません。もしも「自分はこれをやってみたい」というものがあるのなら、とにかく一歩ずつ階段を上がる努力をすることです。

長い長い階段でも、たった10段上がるだけで、目に見える景色は必ず変わっているものです。少しずつ変わっていく景色を目に焼きつけながら歩んでいく。それが人生を旅するということです。

 

他人と比べない、答えは自分の中にある

そしてもうひとつ、自らの道を分からなくしている原因があります。

それは他人との比較というものです。定年を迎えて、さてこれからの行く末を思い描く。

会社にいたころには、ある程度の道は示されているでしょう。自分から道を探さなくても、会社が歩むべき道を示してくれる。その道を一生懸命に歩けばよかった。

しかし定年後はそうはいきません。何をするにもまったくの自由です。自由というのは心地よい響きをもっていますが、裏を返せば自分自身で決めなければならないということ。

やりたいことをやれますが、その結果はすべて自分のところに返ってきます。その重圧に気がついた時、自由であることがとても辛いものに感じたりするものです。

定年後に明確な目標をもっている人たちは幸せです。そういう人は「自由」を満喫することができます。

その一方で、何も目標をもたないままに歳を取った人は、まるで砂漠に放り出されたような不安感に襲われます。

道なき砂漠のどこをどう歩けばいいのか途方に暮れてしまう。そこで自分で考えることをせずに、なんとか他人からヒントを得ようとするのです。

隣のご主人は、定年後も再就職をして生き生きと暮らしているな。どうせ何もすることがないのだから、自分も再就職先を探そうか。でも、自分のキャリアでは簡単に仕事は見つからないだろうな。

ああ、隣のご主人が羨ましい。向かいの家のご夫婦は、ご主人が定年になって田舎暮らしを始めたみたいだな。

のんびりと畑を耕しながら暮らす。それもいいかもしれないな。しかし都会暮らしも捨てがたいし、考えてみれば畑仕事もしんどいだろうな。

誰かと比べて羨ましく思ったり、世の中に氾濫している情報ばかりに惑わされたりしながら、結局は自分の歩む道がどんどん見えにくくなっていく。

自分がどんな道を歩みたいのか。それは自分自身で考えることで、世間や他人と比べるものではありません。比較すればするほどに、人生の方向性はぼやけていくものです。

よし、自分はこの道を歩いていこう。こっちの方向に向かって歩いてみよう。そう自分が決めればいいだけの話です。やりたいことをやればいい。行きたい道を歩けばいい。

自分の心に素直になればいいのです。そして思った道ではないなと気がついたら、引き返してくればいいのです。

自分が選んだ道にさえ執着することなく、自然体でシンプルに考えることです。人生の道を複雑にしているのは、実はあなた自身であることに気づいてください。

どの道を歩んでいくのか。その答えは誰も教えてはくれません。その答えは、自分の心の中にしか存在しないのです。

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故郷へ足を向けてみる、「自分」を再発見する旅に出る

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