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「文化人類学」は分断する時代の救世主となるのか?

奥野克巳(文化人類学者)

2022年08月18日 公開

 

『ハムレット』は「若者に対する教訓的な物語」!?

ティヴの社会には、子はすべて父の親族集団に属するという父系親族組織があり、また未亡人が死んだ夫の弟など男性親族と再婚する「レヴィレート婚」と呼ばれる慣習があります。

これに加えてティヴの人たちは狙いをつけた相手を病気にしたり、殺したりすることができる「呪術」が存在する世界を日々生きているのですが、彼らは『ハムレット』の物語を自分たちの文化に適したかたちで、次のように解釈しました。

ティヴの人たちにとって、先王の死後、弟が王位に就くのは当然のことです。彼らの慣習である「レヴィレート婚」を考えてみればわかる通り、先王の未亡人と先王の弟が結婚するのは、とても道徳的なことです。

また、ハムレットの前に姿を現した先王の亡霊は、呪術を司る呪術師が送ってよこしたものだとも言います。オフィーリアの溺死した事件も、彼女の兄レアティーズの呪術によるものだと推測されました。

というのも、ティヴの社会では、呪術をかけることができるのは、父系親族のメンバーだけだからです。兄は放蕩の末に、金に困っていた。だから妹の死体を別の呪術師に売って金銭を得るために、自分の呪術で妹を殺したのだと、ティヴの人たちは考えたのです。

こうして私たちが「悲劇」と考える『ハムレット』の物語は、ティヴの人たちにとってまったく異なる「物語」として読まれることになったのです。

つまり、呪術に惑わされ、自分にとって「父」でもある現在の王(亡くなった先王の弟)を殺そうとして長老の権威を無視したハムレットが、その若さゆえに身を滅ぼすという「若い人々に対する教訓的な物語」であると、ティヴの人たちは『ハムレット』を解釈したのでした。

 

自分の「あたりまえ」を疑ってみる

ティヴの人たちによる『ハムレット』の解釈は、異文化を正確に理解することは容易ではない、ということを端的に示しているように思います。

彼らは、自分たちの文化の中にある解釈コードに基づいて、なじみのない異文化の物語を解釈したのです。私たちが「悲劇」と考える物語は、若者に対する教訓話に姿を変えてしまいました。

それは作品が生み出された場所での、もともとの内容理解とは、ずいぶん違うものになってしまったようです。

ですが、私たちがティヴの人々による異文化「誤解」を決して非難したり、笑ったりすることはできません。

ティヴの人たちに限らず、私たちもまた自文化の価値観や慣習、制度などさまざまな要素に基づく、自分たちの「あたりまえ」に従って異文化を理解してしまうこともよくあるのです

相手の側から物事を考えてみるのではなく、自分が慣れ親しんだ考え方ややり方に照らして状況を一方的に判断することは、社会の分断を生み出す原因のひとつにつながります。それは人種主義に基づくヘイト・スピーチなどに簡単に結びつきます。

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SNS時代に文化人類学が重視される理由

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