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生き方

「内向的な人」より「外向的な人」の評価が高くなる根深い理由

榎本博明(心理学博士)

2022年11月08日 公開

「内向的な人」より「外向的な人」の評価が高くなる根深い理由

一般的に内向的性格と聞くと「ハッキリしない」「要領が悪い」などといった、マイナスな印象を持たれがちだ。一方で、思慮深く、多角的視点で慎重さがあるため、外向的な人が気づかない問題を見抜くといった長所も多いという。

心理学博士の榎本博明氏は、内向型の人は自分の長所や短所、性格的特徴を知り、それを生かすような自分なりの生き方を打ち立てることが大切だと語ります。

※本稿は、榎本博明著『そのままの自分を活かす心理学』(PHP文庫)から一部を抜粋し、編集したものです。

 

考えすぎてタイミングを逃す

人は緊張の極みに達すると、全身が心臓になったかのように耳鳴りがし、頬がほてるのを感じる。会議で意見を述べようとするとき、面接で自己アピールしなければならないときなど、内向性の強い者はこんな自覚症状を持つものだ。

内向的人間の特徴として、何か発言する際にあれこれ考えすぎてタイミングを逸するということがある。あとになって、ああ言えばよかった、こう言えばよかったと、しきりに後悔したりする。

討議内容が理解できない、議論についていけないというなら、これは問題だ。業務内容や社内事情に精通すべく勉強し直すことが必要だろうし、最近の社会問題に対して自分なりの見解をまとめる練習をするのも有効だろう。

だが、多くの内向的人間の悩みは、言うべきことはしっかりと頭の中にあり、自分でも言いたいと思っているのだが、発言のタイミングがなかなかつかめないというところにある。結果として、何も発言しないままに会議は終わってしまう。

では、なぜ発言できないのか。外向的人間からすれば、これはきわめて理解しがたい心理だろう。ここに内向性の心理的特徴が顕著にあらわれている。それは自意識の強さと完全癖だ。

くだらない発言をして場をしらけさせたくない、見当違いの発言やパッとしない発言をしてバカにされたくない。こんな心理がどこかに働いているのではないか。

しかし、人はそれほど他人のことを気にかけてはいないものだ。だいいち会議は試行錯誤の場だ。完璧な意見などというものがあるのなら、議論する必要がなくなってしまう。

それに、よく観察してみると、「スルドい!」と唸らせるような意見はめったに出るものではない。急に意見を求められても、即座に無難な発言をすることから、よく指名される者がいる。

そのような者の多くは、問題点を整理したり、問題の難しさを言い換えるくらいのことしかしていない。もっともらしい口調が雰囲気的に説得力を持たせているにすぎない。つまり、たいしたことは言っていないのだ。

したがって、立派な意見でみんなを唸らせようなどと意気ごむ必要は毛頭ない。どんな発言をしたところで、他人の頭の中に後々まで刻みこまれるようなことはめったにない。言いたいことがあったら言えばよい。だが、無理して言わなくてもよい。

「こんな会議で何も自分の意見を通したいとは思わない」という心理がどこかにある場合もあろう。それならば無理に発言しようとあせることはない。

議論好きの人たちのお手並拝見と高みの見物をきめこめばよい。自分の生きがいはこんなところにはないのだからと、気楽に構えることだ。

 

慎重さ、着実さは貴重な能力

現代はスピードの時代だ。周囲にアンテナを張りめぐらし、めまぐるしいばかりの世間の動きを敏感に察知し、素早く対応することが求められる。これは、まさに外向的人間の得意とするところだ。

じっくり型の内向的人間は、どうしても乗り遅れる。外向的人間のフットワークの軽さをうらやましく思い、また、その気軽さにあきれる。

時流に乗った対応が機敏にできるという能力は貴重なものだ。こうした能力なしには現代の企業経営は成り立たない。

では、内向的人間は、現代という時代には不要な存在なのだろうか。いや、けっしてそんなことはないはずだ。現代人は、スピードや能率のよさを追求するあまり、じっくり考えるということを忘れているのではないか。

スピードがものをいう仕事では、たしかに外向型のほうが有利かもしれない。自分なりに事態を理解し消化しようと思っている間に出遅れてしまう内向的人間は、上司や同僚から「グズだ」「要領が悪い」などと非難される。未消化なりに時流に乗った対応をとりあえずとれる外向的人間のほうが有能とみなされやすい。

だが、そこに落とし穴がないだろうか。遅れてはならないと時流に乗ったところが一時的なものだったということもあるだろう。大衆現象に追従することにばかり気をとられて、独自なものを生み出す地道な努力がおろそかになることもあるかもしれない。

みんなが最前線で先陣争いをしていては組織として成り立たない。目立たないところでコツコツと仕事を積み重ねるというのは、内向型の得意とするところだろう。

丹念に記録をつける、地道に資料を収集し整理する、表面的現象に振り回されずにその背後にあるトレンドを多面的に検討するなど。

決断は遅いかもしれないが、決断を前に「まてよ、もう少し別の角度から検討してみよう」という内向的人間の姿勢は、リスクの回避に結びつく。

会議などでも、外向的人間の口からはポンポンことばが飛び出すので目立つが、ときに口が禍いして失敗することもある。また、感覚的に発言する者の意見は聞き流されがちだ。

これに対して、慎重な内向的人間には、思わぬ失言や言いすぎによる失敗は少ない。あれこれ考えているうちに発言のタイミングを逃がすことが多いが、その分じっくりと考えぬいた末の発言は、重みを持つはずだ。

外向型特有のフットワークの軽さを軽率さとして否定してはならない。その価値を正当に評価すべきであろう。しかし、内向型特有の熟考性、慎重さの価値も認めないのは不公平というものだろう。

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