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生き方

この震災で、「日本人の宝」が見えてきた!

竹田恒泰(作家/慶應義塾大学講師),塩沼亮潤(大峯千日回峰行大行満大阿閣梨)

2012年05月15日 公開 2022年10月27日 更新

《 竹田恒泰著 塩沼亮潤著 『日本人の宝』より 》

外交に必要なのは「同」ではなく「和」

塩沼 日本人は海外に行くと論争下手といわれますが、NGOなどで日本人が世界各地の紛争現地で、紛争の処理、武装解除に当たられた人のお話を聞くと、最終的な話し合いは日本人でないと解決できないそうです。よく日本人は曖昧でダメとか言われていますが、双方の主張を聞き、あらゆる選択肢を提示して解決するという素晴らしい能力があります。

  一説によると和という字は禾(か)と口の組み合わせですが、禾は軍門に立てる標識の木の形を表し、口は さい〔字は文末に別掲〕で神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器を表します。

 さい を置いて軍門の前で誓約して講話する。これが和の意味という説もあるぐらいですので、これもまた、日本人の特徴でしょう。双方の主張を聞き、最終的な落としどころを決めて納得させるのが日本人は得意なのです。

 よく「日本人は曖昧でダメ」と言われますが、多岐にわたる選択肢の中から、最善を見いだし、なおかつ、変化にも対応できる細やかさがあります。これは世界に通用する日本の伝統精神です。

竹田 言葉にしても、英語はもともと好戦的な言葉です。最初に自分の意思を明確に言わなければなりません。たとえば「Do you like coffee?」と聞かれたら、「Yes,I do.」か「No,I don't.」と答えなければならない。

 日本語だと、「コーヒーはお好きですか」と聞かれて「ええ、まあ」とか「嫌いではありません」などと、好きなのか嫌いなのか、よくわからない返事をする人も少なくありません。あまり「好き」を前面に出すと、相手に気を使わせるから、好みを曖昧にしか言わない。そのような気遣いができる言語が、日本語なのです。

 「コーヒーをお持ちしましょうか?」と聞かれて、「それはもうけっこうな、もったいないことで……」などと答えるのもそうです。してほしいのか、してほしくないのか、よくわからない(笑)。自分のことをはっきり言わないのが、文化なのです。

塩沼 それによって丸く収まることもありますしね。

竹田 ただ、日本人が物事をはっきりさせないため、外国と交渉事をするときは、つい相手に押されやすいこともたしかです。白黒はっきりと意見を言うべきともいわれます。これに対する答えは、聖徳太子にあると思うのです。

 日本の外交は、よく「タカ派」と「ハト派」に分けられます。たとえば小泉純一郎元首相はタカ派の強硬路線、鳩山由紀夫元首相はハト派でいつもニコニコして、言われたら何でも引き受けるといった具合です。しかしこの分け方自体おかしく、外交は「強硬か」「穏健か」だけで済ませられる話ではありません。

 孔子は「和」について、「自己の主体性を保ちながら他者と協調すること」と述べています。一方、似て非なる言葉として「同」を挙げ、「自己の主体性を失って他者と協調すること」と述べて、その違いを明らかにしています。自己の主体性を保って戦争になれば、もちろん「和」ではありません。しかし自己の主体性を失って、相手の言うがまま受け入れるのも「和」ではない。自己の主体性を保ちつつ、うまく調和することが大事なのです。

 つまり「和」を実現するには、ときに強硬な姿勢を示し、ときに腰を低くして穏健な態度も取る。外交を考えるときも、「強硬か」「穏健か」ではなく「和」かどうかで考えるべきです。

 ここで自己の主体性を守る「和」の外交をやったのが聖徳太子です。聖徳太子は日本を「日出ずる処」と記した国書を隋のヨウ煬帝宛てに送りますが、そんなことをすれば煬帝が怒ることはわかりきっています。しかし隋を中心とした冊封体制の中に入り、言いなりになってしまっては日本に未来はない。だからといって袂を分かって、隋と戦うわけにもいかない。日本の独立性を保ちつつ、相手とほどよい距離を置く方法を考え、そこから生まれたのが「朝貢すれども冊封は受けず」という外交です。貢ぎものを贈って相手を立てつつも、官職をもらうことはしない。大国に対する敬意を表しつつ、独立した国家運営を行うというやり方を編み出したのです。

 その結果、先のような国書を送ったのですが、予想どおり煬帝は激怒し「こんな無礼な手紙は二度と取り次ぐな」と言ったという記録が、中国の歴史書に残っています。さすがに再び「日出ずる処の天子」と書いたのでは大変なことになる。そこで次に考え出したのが「天皇」という言葉です。中国の「天子」に対し、「天皇」という異なる言葉を持ち出した。これにより、別次元の話にすり替えたのです。

 これと似たようなことをやったのが、私がお世話になってきた慶應義塾という学校で、ここでは長らく御真影を飾りませんでした。明治時代から終戦まで日本の学校では、御真影を飾ることを義務づけられていました。福沢諭吉は『帝室諭』で「皇室に価値がある」と書いているほどですから、反皇室ではありません。それでも御真影を掲げるという教育方針は取らなかった。

 そのため文部省の役人が来ると「なぜ飾らないのだ」とお叱りを受けますが、「じつはうちの学校があまりに粗末で御真影のような大切なものを掲げるのにふさわしい場所がなく、悩んでいるのです」などと言ってかわしていました。これも「和」でしょう。教育方針を全面に打ち出せば、行政指導を受けて処罰されるかもしれません。かといって不本意ながら従うのは、自己を曲げることになる。そのあたりをうまく調和することが大事なのです。もっとも、うまく行うには才覚が必要ですが。

塩沼 とくに現代においては、日本という国の成り立ちや歴史をしっかりと整理して子供の頃から教えてくれる人がいない結果、日本人として自信が持てない、一本筋が通ってない人が増えています。

 そういう若者が海外に留学します。そうするとたいがい決まって2つのコメントに集約されます。「日本人でよかった」「日本人って世界からけっこういい評価なんだね」と言います。

 すべての国、民族からとは言えませんが、日本は自分たちが思っている以上に評価されています。それを一番わかっていないのは日本人なのです。明治維新以降だんだん元気がなくなって、スケールが小さくなり畏縮しているようにも思えます。

 大震災にも遭い、経済の先行きもどうなるかという時代に、うじうじしていても仕方ありません。もはやこの小さな島国で、宗教がどう思想がどう、右だ左だと子供のような言い争いをしていてもどうにもなりません。みんなで助け合って心と心をつむぎ合わせていかねばなりません。心をつむぎ合わせてこそ初めて強くなれるし、心の潤いも出てきて、生きる喜びが得られるのです。

竹田 だからこそ「和」とは何か、もう一度皆で考える必要があります。鳩山元首相のやろうとした外交を「和」と思っている人もいますが、ただニコニコして相手に従っているだけでは「同」です。逆に強硬な姿勢を取ったからといって、「和」でないとは限りません。ときに必要な場面では強く出て、自己の主体性を守り、引くところでは引いて果実を得る。それこそ「和」になるのです。この「和」の感覚も、日本人が今後大切にしたい伝統精神ですね。

塩沼 「和」を日本流の妥協という考え方として受け止めたら大変なことになります。西洋人は契約には義務が伴うという歴史的認識を持っていますから。「和」を勘違いして、ニコニコしてすべては妥協という感覚で外交などしていたら、海外からあの人は何を考えているのかわからない、信じられないとなります。

二コニコしているだけで問題を解決できる人

塩沼 じつは私も若い頃全然わかっていない時代がありまして、正義感に満ちあふれていたときがありました。何か問題があり相談されると、眉間にしわを寄せ、肩に力を入れて解決していたのです。本当に至らなかったなと改めて反省しておりますが、最近ふと感じたことがあります。

 私の知人のAさんとBさんがある問題で大変なことになりそうだというのです。ある日突然Aさんの部下から聞いてしまいました。聞いてしまったからには、仕方ありませんので、Bさんに電話をして優しく「ごめんね、Aさんの問題なんだけどさあ……」と言ったとたん、何も私が言わないのに「はい、わかりました」と電話を切り、すぐに大きな問題が解決してしまったそうです。

竹田 それができるのは、かなり次元の高い話ですね。

塩沼 私の祖父も、そういう人でした。ある人とある人が仲違いしないよう気を配ったり、ケンカした2人の仲を取り持ったりした。私の祖父に限らず、昔の人は普通にできたことかもしれません。

 その意味では、いまは少し次元が下がっているのでしょう。欧米から異なる価値観が入ってきて、それに変に感化されてしまった。それでは日本人としての本領を発揮できない。そこにいるだけですべて最善に転換していくことができる人が、どんどん出てきてほしいですね。

 
 

sionuma100.jpg 塩沼亮潤 

(しおぬま りょうじゅん)

大峯千日回峰行大行満大阿閣梨

昭和43年、仙台市生まれ。昭和61年東北高校卒業。昭和62年吉野山金峯山寺で出家得度。平成3年大峯百日回峰行満行。平成11年吉野・金峯山寺1300の歴史で2人日となる大峯千日回峰行満行を果たす。平成12年四無行満行。平成18年八千枚大護摩供満行。現在、仙台市秋保・慈眼寺住職。大峯千日回峰行大行満大阿閣梨。
著書に『人生生涯小僧のこころ』(致知出版社)『心を込めて生きる』(PHP研究所)『〈修験〉のこころ』(共著・春秋社)などがある。

 

竹田恒泰

(たけだ・つねやす)

作家
 
昭和50年(1975)旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫にあたる。慶應義塾大学法学部卒。専門は憲法学・史学。作家、慶應義塾大学講師。平成18年(2006)に著書『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で第15回山本七平賞を受賞。
主な著書に『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』(PHP新書)『現代語古事記』(学研パブリッシング)などがある。


◇書籍紹介◇

日本人の宝

竹田恒泰/塩沼亮潤 著
本体価格 1,500円    

『古事記』、神仏習合による信仰心、大自然への崇敬……日本人が「宝」として思い起こし、生きる軸とすべき伝統精神を語りつくす。

 

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