不妊治療を始めるも...交際10年で結婚、すぐ離婚した“夫婦のすれ違い”のワケ
2023年11月14日 公開
心に決めた最後のチャンス
わたしは42歳になっていて、いよいよ真剣に子供をつくろうということになった。自然に妊娠するのはむずかしいので、人工授精に向けて不妊治療の病院を選び、エリックの精子のサンプルを提出したり、わたしの卵管がふさがっていないか検査したりと、準備段階に入っていた。
そんなとき、エリックが新しい仕事に誘われた。カナダのバンクーバーにある国際的な鉱業投資会社での持続可能な開発部門の管理職で、いまほど忙しくないし、ふたりの関係を修復するチャンスでもあると思った。
エリックが帰ってきたとき、わたしはポークチョップとお気にいりのシャンパンでお祝いしようと、キッチンで食事の支度をしていた。
シャンパンのボトルをあけてグラスに注ぎ、ふたりで乾杯したあと、冷蔵庫からポークチョップを出しているわたしの背中に向かって、エリックが「話がある」と硬い声で言った。振りかえって彼を見た。
「いまは子供をつくりたくない。ぼくたちの関係を見直す必要があると思ってる」
「そう」わたしは言った。混乱はしていたが、それほどでもなかった。
「それって、つまりどういうこと?」
「ぼくは幸せじゃない。きみはいまの状態に満足してる?」
「そうね、完全には満足してない。だけど、あなたが転職したら、いろいろよくなるんじゃない?」
「そうかもしれない。でもぼくたちは危機的だと感じてる」
「危機的なんて。すばらしくうまくいってはいないかもしれないけど、でも修復できるわ」
「ぼくたちはカウンセリングに行くべきだと思う。それが解決するまで子供はつくりたくない」
わたしはシャンパンを手に立ちつくした。自分が馬鹿みたいに思えた。むかむかして、せりあがってきた苦い胃液が喉の奥を焼いた。
わたしがふたりの人生の次のフェーズに向かう記念の夜にしようと、上機嫌で買い物をしていたころ、エリックは夫婦関係が破綻しかけていることをどうわたしに告げようか、頭を悩ませていたのだ。どうして何も気づかなかったんだろう。
フルートグラスを投げつけ、ガラスの砕ける音で粉々に壊れた心を表現したかった。そのかわりにグラスのシャンパンを飲み干し、おかわりをついだ。「もう料理できる気分じゃないわ」そう言ってポークチョップを冷蔵庫にしまった。「外に食べに行きましょう」
もう戻れないし、前へも進めない
シャンパンのボトルをあけ、近所の小さなイタリアン・レストランでも飲み続けた。わたしはエリックに告げた。カップルカウンセリングには行くけど、結局は別れることになるんでしょ? カウンセリングはそのつらさを少しやわらげてくれるだけなんでしょ?
「つまりどうしたいの?」傷つき、怒り、酔って熱くなった頭で言った。「離婚したいの?」
「わからない」
わたしはエリックを見た。その顔は、ふたりのあいだに置かれたろうそくのちらつく炎に照らされ、影に沈んだ目はうがたれた黒い穴のようで表情が読みとれない。突然、店内のすべてが彼の背後に遠ざかった。煉瓦の壁も、長い木のバーカウンターも、ほかのテーブルにつくブルックリンのカップルたちも......。
ここを出なければ。ここでこうしてはいられない。わたしは未来を懸けたのに、わたしと一緒にいたいかもわからないと言うこの男と、何ごともなく食事をするふりなんてできない。
「帰る」泣きそうになるのをこらえて言い、立ちあがった。「いまはあなたといられない」きびすを返し、ふらつく足どりで通りに出ると涙が出た。
どこへ向かえばいいのだろう。顔なじみのレストランに夫を置き去りにしてきたのだ。エリックは驚き、いたたまれない思いをしているだろう。当然、このまま家には帰れない。