生涯にわたって描き続けることができる画家
(鬼塚)例えば、どのような点が……。
(霜田)規則やモラルから自由であるということでしょうか。画家には当然ですが定年退職がありません。外来で、特に男性によくみかけるのですが、定年退職を迎え、「燃え尽き症候群」の方が多い。
何十年も勤めるうちに身についた生活リズムが、ある日を境に激変します。特に昼間の時間帯、自宅にいると「なぜ自分は会社にいないのだろうか?」と落ち着かなくなり、自分の居場所が見つからなくなってしまう傾向があるのです。
(鬼塚)確かに。何十年もずっと仕事人間でいた人ほど、没頭できる趣味や気軽に会える仲間がいないと途方に暮れてしまうでしょうね。
(霜田)そうなんです。寂しさや孤独に耐えられなくなって、過剰な飲酒に走ってしまう人も少なからずいらっしゃることは否定できません。鬼塚さんもおっしゃったように、社会問題にもなっている「孤独死」につながることもあり得ます。
人生には本来、定年という節目などありません。一定の年齢が来ればペースを落としていいとか、時が来たからもう終わりとか考えません。時間的制限は命の期限まであるのです。
(鬼塚)画家には、定年退職なんてありませんね。
(霜田)存在しません。年齢の壁もなく、生涯にわたって描き続けることができます。決められたタイムリミットや、外側から与えられる筋目などが存在しない人生を想像してみてください。命の期限まで終わりがないわけですから、どんどん自分を高めていこうという意欲も湧きますよね。
自分の時間が外側にあるのではなく、しっかりと内側にあるのでコントロールしやすく、すべての責任は自分自身にあることも痛感します。
それは、逆に考えると「一定の年齢がくればペースダウンしてもよい」とか「時間切れだからもう終わり」といった言い訳や逃げ道が存在しないということでもあります。常に新しいことにチャレンジしていけます。
東山魁夷は70歳を超えて大作を完成させた
(鬼塚)具体的な画家でいうとどういう話になりますか?
(霜田)例えば、東山魁夷先生は当時の常識でいう定年を過ぎた61歳のときにドイツ・オーストリアをおよそ5ヵ月も旅し、この旅で描き貯めたスケッチをもとに、帰国後ますます精力的に制作に打ち込みました。
しかも洋式の建物や石造りの建物を日本画の技法で描くという新たな挑戦もしたのです。1972年64歳のときには、突然モーツァルトのピアノ協奏曲イ長調第2楽章の旋律が聞こえ、1頭の白い馬が針葉樹の中に現れる幻想を見たそうです。
これまでにない新しいイメージをテーマに、本制作12点、習作6点、計18点の「白い馬の見える風景」を発表。約一年間のうちに連作を手がけました。65歳になると新たに水墨画の世界に入っていきます。
唐招提寺の襖68面と床の間、鑑真和尚像の安置される厨子の内部の装飾という非常に尊い重要な仕事を依頼され、障壁画制作のために各地を旅し、風景の写生に時間を費やします。この仕事は72歳の時に無事に奉納。
およそ7年かけて鑑真和尚と向き合い、全精力を傾けて仕上げました。その後も晩年まで風景画家として精力的な制作を続けています。定年という概念がないからいいのでしょうね。