ピカソが最晩年まで発し続けた強烈なエネルギー
(鬼塚)すごい生き方ですね。西洋の画家ではどうですか?
(霜田)ピカソもまた最晩年までもの凄いエネルギーで制作し続けました。陶芸に挑戦したのは65歳。78歳でマネの代表作「草上の昼食」をもとにして、油彩、パステル、デッサンと合わせ140点の連作を描き始めます。
そして79歳でジャクリーヌ・ロックと南仏で結婚。そこでさらに勢いづき、91歳まで制作を続けます。定年だからちょっとゆっくりとなど考えなないのです。むしろ60以上になって忙しさを謳歌しています。ちなみにピカソの最期の言葉は往診に来た独身医師に「女っていいものだよ」というものだったそうです。
(鬼塚)死ぬまで創作意欲に燃え、女性好きだったということですね。いずれにせよ、長生きは60歳以降の生き方に鍵がありそうですね。
(霜田)画家はとにかく1作でも多く描きたいという気持ちを持ち、常に新しい挑戦を続けてきました。そういういう生き方を私たちは学んだ方がいいと思います。
画家を職業としようがしまいが「生きている限り創作を続ける精神」を私たちはヒントにすべきでしょう。絵を描くのもいいでしょう。また、自分の好きなことに、新たに挑戦をしていくことでしょう。
生命を維持するための遺伝子を傷めない生き方
(鬼塚)挑戦していくことですね。他に長寿画家から学べることはありますか?
(霜田)規則や常識に縛られないということです。先に述べた定年退職もそうです。世間の規則や常識は好き勝手に解釈すればいいのです。横山大観先生もそうでした。日本画と洋画を区別せず自由に描いていました。
葛飾北斎先生は生涯93回の引っ越しをしています。自由だから「東海道名所一覧」のような名作が生まれたのです。自由に生きることでストレスが軽くなり生きる情熱を持って生きられます。
その結果、生命を維持するための遺伝子を傷めにくく、テロメアを短くせず、年齢を重ねてもさらに活性化して神経ネットワークを充実することができるのです。
(鬼塚)規則や常識に縛られず柔軟に脳を使うこと。要は持っているものの見つめ直し方次第、ということですね。
(霜田)脳には喜びや楽しさを感じて、それをもっと求める神経回路があります。脳の奥深くに存在する「側坐核」という部分にあるニューロンは、ドーパミンを受け取って活性化され、さらにそれを求めようとします。
例えば、今日はぶらっと旅に出て、頰に風を受けながら心に浮かぶことにぼんやりと思考を巡らせたり、無心になって川や海で遊んだり、一日中大好きな曲を聴きながらゆったりと過ごしたり……。
そうすることで無限の創造性やアイデアのチャンスなど、感性の扉はいくつも開いてくれようとします。
(鬼塚)それまでの人生で蓄積した「経験」や「思考力」という大切な宝物が詰まった脳だからこそ、むしろ60代以降から、どんどん輝いていくべきでしょうね。
(霜田)20代頃から50代頃までは目の前の出来事にただ追われているだけで必死だったかもしれません。ゆっくり向き合う暇などなかったことでしょう。苦労も宝物です。
苦しいときに自分と向き合った経験が、心のきめを細くし、ごつごつとしていた思考の流れが滑らかになっているかもしれません。だからこそ、60代からの日々を無為に過ごすのではなく、ぜひ、いろいろな形で価値のある使い方をしながら、イキイキと活躍してほしいと思います。