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生き方

「マンションは火事」「彼氏にリモコンでなぐられ..」えらいことになった、東京暮らし

岸田奈美(作家)

2021年10月18日 公開 2024年12月16日 更新

 

「つき合ってる彼氏にリモコンでなぐられて、ねんざしちゃって」

そのマンションに住んでいたときが、東京で暮らしていて一番しんどい時期だったかもしれない。自己肯定感が大阪の天保山より低かった。

当時つき合っていた彼氏も、友人にいわせれば「男の片すみにも置けん、最悪の人間」だった。お互い、なぐるわけるわの取っ組み合いをしてもなお、共依存でくっついたりはなれたりして、結局別れずじまいのままズルズルやっていた。

仕事に加えて恋愛のストレスにまでさらされたせいか、なんだか肩までダルくなって疲れがとれず、マッサージにでも行くかとHOTPEPPER Beautyを開いたときだった。

「恋の悩み整体」というひときわトンチキな施術メニューが、目を引いた。

恋の悩み整体……だと……!?

恋の悩みも、首の痛みも、消える。いまのわたしにとっては願ったり叶ったりじゃないか。

失恋のうんたらかんたらがフワーッと楽になるようなツボを押したり、心理学とかなんとかを駆使してカウンセリングしたりしながら、優しく身体を整えてくれるに違いない。期待に胸をはずませたわたしを、指定された雑居ビルで待っていたのは。

小汚い部屋の真ん中にデンと置かれた施術ベッドと、その上に散らばるタロットと、とにかく陽気なおじさんであった。

「やあ、やあ! ようこそ! お茶飲む?」

小太りで、黒い制服のボタンがぱっつんぱっつんにはじけ飛びそうになっているおじさんがいう。

申し訳程度に鳴っているα波ミュージックや、水蒸気をふく無印のアロマディフューザーで演出された息も絶え絶えのリラックスムードをすべてかき消すかのような、居酒屋風のテンションの高さであった。

「えっ、あっ、じゃあ飲みます……」
「はい、どうぞ!」

渡されたのはヤカンだった。どう見たってこれはラグビー部のマネージャーがもってるやつだし、おじさんの元気いっぱいな一声はマネージャーのそれだ。ということは、わたしがラグビー部なのか。

ヤカンを受け取り、どうするかしばし迷っていると、おじさんが紙コップを差し出してくれた。そこに入れて飲めということらしい。お茶はたいへんに不思議な味がした。柿の葉茶と、ヤカンに直接油性ペンでなぐり書きされていた。

「足湯する?」
「足湯とかあるんですか」
「あるよ。いや、メニューにはないけど」

どういうこと?

「今日はね、ヒマで時間あるから、足湯をサービスしてあげる! ラッキーだね!」

やはり居酒屋風のテンションであった。おじさんは、ひとむかし前のバラエティで天井から降ってきそうなタライをもってきて、そこに別のヤカンからお湯を注ぎ、足をつけろといった。

「それで、お姉さんは恋の悩みがあるんだね」
「はっ、はい」
「じゃあまず、それをタロットで占いますから」

恋の悩み、まさかの、ツボとかじゃなくタロットで解決される流れだった。相当、占いに自信があるのだろうか。少しワクワクしながら見守っていると、おじさんはスッと本を開いた。

表紙には「はじめてのタロット占い」と書いてあった。

目を疑った。

「ああ、これね。実家を掃除してたら出てきたの。おもしろいから、仕事でやってみようと思って」

おじさんは、泣く子も黙るド素人だった。

「えーとね、じゃ、どっちの山にするか選んでください」

ひたすらに本を読みながら、ぎこちない手つきのおじさんがあやつるカードを、わたしが選んでいく。おじさんは当たり前のように失敗するので、何度もやり直しになり、気がつけば整体の時間は半分も過ぎていた。

「はい! 結果が出ました! タロットはこういってます」
「はあ……」
「信じて寄りそえば、きっとあなたは幸せになります! どうだ!」

どうだといわれても、なんなんだ。というかわたしはそもそも、なんの悩みもおじさんに伝えていないことに気づいた。

「そうなんですね……どうなんでしょう……」
「大丈夫、大丈夫。じゃあ整体いっちゃおうか。どこが気になる?」
「首ですね」
「首ね」
「つき合ってる彼氏にリモコンでなぐられて、ねんざしちゃって」

あんなに朗らかだったおじさんの顔が、真顔になった。

おじさんの整体の腕は思ったより悪くなく、意外と気持ちよかった。デスクワークでわたしの肩と腰はガッチガチに固まっていたので、ゆっくり筋肉をゆるめてもらうと、血行がよくなってきたのか、首の痛みもマシになっていった。

「あのね、これはね、タロットじゃなくて、僕が思うことなんだけど」

背中をぐいぐいと押しながら、黙っていたおじさんが、つぶやいた。

「その彼氏とは別れた方がいいよ……」

おじさんの悲しそうな声が、背中から伝わってきた。どんな占いよりも、信じた方がいい生身の言葉が、この世にはある。

「これ、無料券」
「えっ!?」
「もってってよ。それで、彼氏とちゃんと別れたら、またおいで」

2週間もしないうちに、わたしはおじさんのもとを訪れた。つきものが落ちたみたいに、なんだか急にばからしくなって、彼氏とさっぱり別れたのだ。

タロット占いはメニューから消え失せていた。

1年ほど通ったが、おじさんは会うたびにタガが外れていき、

•5分の1の確率で一升びんの泡盛が当たるくじ引き
•ぜんぜん知らん他人と同室でおしゃべりしながらペア施術をするキャンペーン
•Uber Eatsでオードブルを頼んで、パーティタイム整体
•おじさんが執事になりきってわがままを聞くお姫様プラン

など意味不明なメニューでてんこ盛りになり、最終的におじさんは「ちょっと経営厳しくてね…健康ランドでバイトすることになったよ…」とさびしそうに報告したのち、店をたたみ、それ以来会えなくなった。

おじさんがいまどこでなにをしているのかは知らないが、どんな理由があれ、なぐってくる恋人とはすぐに縁を切った方がいいし、自己肯定感を軽率に下げてくる人間とも距離を置いた方がいい。

わたしが大都会で最初に学んだ、大切なことだった。

 

著者紹介

岸田奈美(きしだ・なみ)

作家

1991年生まれ、兵庫県神戸市出身。大学在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立。 世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」選出。

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