1. PHPオンライン
  2. 生き方
  3. 見捨てられたくない...「孤独への過度な恐怖」を生んでしまう“親のひと言”

生き方

見捨てられたくない...「孤独への過度な恐怖」を生んでしまう“親のひと言”

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2023年01月25日 公開 2024年12月16日 更新

 

あのときに流せなかった涙を今流す

淋しい人は、ときにそれがわかっていても、ずるい人にいい顔をするのがやめられない。人間関係依存症である。全部取られても、いい顔をするのがやめられない。ときにはそうした状態にいることにすら気がつかない。

リスクを覚悟して毅然とした態度に出れば、相手は()を正してくれることもある。()が落ちることもある。

しかし、うつ病になるような人は、リスクをとれないから、そうした毅然とした態度ができない。うつ病になるような人は、どこへ行っても安住の場所がない。ないと思っている。本当はあるのである。

しかし、自らずるい人のところへ行ってしまう。だから安住の場所がない。見捨てられる恐怖は、幼児期のトラウマになる。とにかく一人が怖い。このトラウマになった出来事を意識に乗せて、乗り越えることである。

見捨てるという脅しに怯えて、必死になって迎合していたときの、心の底の苦しみ、悲しみ、怒りをしっかりと意識に乗せる。そのときに流せなかった涙を今流す。

それはものすごい事件のことばかりを言っているわけではない。執着性格者は、日常の小さな出来事でも悔しい思いをしている。

「あなたがケガしたのはしょうがないじゃない、あなたが悪いのよ」と言われると、もう何も言えなくなる。「このあいだ話したじゃない、そんな大きなことじゃないよ」と言われると黙ってしまう。

「話を聞いた」ということと「自分は納得した」ということは違う。

子どもは話そうと思ったけれど話せなかったのである。母親との関係なら「ぼくはあのときに納得しなかったんだよ」と言えばいい。しかし言えない。そういう子どもは、いつも母親にイライラする。

母親に「お母さんの話にイライラするのは、そのためなんだよ」と言えばいい。しかし言えない。

母親のほうはナルシスト。相手が納得したかどうかなど見ていない。子どもの自我の基盤が。子どもはナルシストの母親に圧倒されている。

 

今生きるのが苦しいなら人間関係を変える

従順であることだけを強いられた人は、相手に言われたことに反論できない。「あの人からそう言われた」ということで、そうしてしまう。迎合のときには「そうね」で終わる。しかし納得していない。

話し合いは意志を曲げたらダメ。自分の意志を曲げない。相手の話の疑問点を探していく。

「自分の意志を曲げない」ということと、相手の話を聞くということは別。相手の話は悔しくても聞く。

一つの出来事の見方はいくつもある。相手の話を「そういう見方もあったのか」と聞く。納得できれば「そうね」でいい。

相手側の価値観を理解しないと「話し合い」はとんでもないことになる。トラブルが起きたときの打つ手を間違える。だから相手の話はよく聞く。とにかく相手をしっかりと見る。

ライオンが襲うと思うから怖い。食べられるという意識があると、怖くてんでしまう。その恐怖感で「走る」という能力、逃げるという能力が奪われる。本来「できる」はずのことが、「できない」。

意志はしようとしている。しかし行動は心象にしたがう。アメリカの心理学者シーベリー(Seabury)は「心象は意志に優先する」と述べている。心の中の自己イメージが否定的なら、できることもできない。

ネズミが小金を貯めた。そして大人になって、あるときに逆境を経験する。すると、そこでダメと思ってしまう。霞が関のエリート官僚が自殺する。家のない人が借金を抱えて自殺するのではない。

つまり「オレはダメだ」と思っても、実際はダメではない。だから自分のイメージを変えること。

人を信じられるか、信じられないか。それは、自分一人で生きていける自信があるかどうかということである。見捨てられても一人で生きていけると思ったとき、人を信じることができる。

お金などいくらあっても不安。財産で小さい頃のトラウマは乗り越えられない。

人の意欲をそぐ人間がいる。一緒にいるだけでやる気をなくさせる人がいる。逆に一緒にいるだけで意欲が湧く人もいる。だれといるかで意欲が湧いたり、減退したりする。

とにかく、うつ病になりやすい人は、今生きるのが苦しいなら人間関係を変えること。今、生きるのが八方ふさがりと感じるなら、今の人間関係が悪い。今までの人間関係も悪い。

人間関係を変える。それが真の解決である。そして自分を信じること。

オオカミでも叩かれ続けたら弱くなる。うつ病になるような人は、歪んだ訓練で弱くなった。それでも、とにかく今まで生きてきた。それが決して弱い人ではない証拠。

ふとしたときにオオカミの本性は出るはずである。それを見逃さない。そのときに「自分は弱い」という自己イメージを、「自分は強い」という自己イメージに変えるのだ。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×