なぜ「ダメに決まっている」と言うのか
エネルギッシュな人は、何かに努力して結果が期待はずれでも、損したと思わない。それを経費と考える。エネルギッシュな人は、やった努力を無駄と考えない。成果の上がらなかった努力を、損したとは考えない。その努力は、長い将来まで考えれば無駄になっていないと感じている。
しかし執着性格者は、その努力が無駄になることが悔しい。その努力が、その場で成果を生み出すことに執着する。
エネルギーがないと、今日という日も、明日という日も、昨日という日も、意識できない。ただひたすらに、この瞬間に成果がほしい。
それは努力の過程が楽しくないから。関心と興味で動いている人は、すぐに成果を上げようとしていない。「こういう成果が今ほしい」というように欲張りではない。
執着性格者はすべてに欲張り。リスクをとらない。「やってみなければわからない」とは言わない。関心と興味で動いていないから。
たとえば、「やってみなければわからない」ことを「ダメに決まっている」と言う。それは、激しい愛情欲求があるから。愛情飢餓感に苦しんでいるから。
彼らがよく使う「ダメに決まっている」という表現は、自分にもっとよくしてくれない周囲の人を責めているのである。「ダメに決まっている」は「蓋をされた怒り」を間接的に表現している。
「できる訳ないじゃない。もうダメ」、そう周囲に叫んでいるのである。抑えられた怒りで消耗している。立ち上がる気力もない。
「皆は、もっと私のことを知るべきだ」と心の底では思っている。やってみれば、実は結果は「空」ではない。それなのに執着的傾向の強い人は、それを無駄と考える。執着性格者は、目に見える今の結果を重んじる。
しかし、これらのしたことを無駄と考えたら生きていけない。執着は悔しさと後悔と未練。人間、最後はすべてなくなる。執着性格者はそのことがわかっていない。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。