「学校に通うのは反対じゃ...」松下幸之助の父が、奉公をやめさせなかった理由
2024年06月11日 公開
一代で世界的企業を築き上げ、"経営の神様"と呼ばれた松下幸之助だが、成功の陰には数々の感動的なエピソードがあった――。幸之助の通学に反対し、奉公を続けさせた父、幸之助が自身を「運が強い」と言った背景...。3つのエピソードを紹介する。
※本稿は、PHP理念経営研究センター編著「松下幸之助 感動のエピソード集」(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
父のひと言
幸之助が11歳になったころ、それまで郷里の和歌山に住んでいた母と姉が、幸之助や父がいる関係で、大阪の天満に移ってきた。そして、姉は読み書きができたので、大阪貯金局に事務員として勤めることになったが、そこでたまたま給仕の募集があることを知り、そのことを母に伝えた。母は、奉公している幸之助を手元で育てたいと思ったのであろう。
幸之助に、「幸之助も小学校を出なくては、先で読み書きに不自由するだろうから、この際、給仕をして夜間は近くの学校へでも行ってはどうか」と勧めてくれた。
母の手元から給仕に通って、夜は勉強する。窮屈な奉公生活をしていた幸之助にとって、それはたいへんうれしい話である。「ぜひそうしてほしい」と、母に願った。母は、「それではお父さんに話して、お父さんがよければそうすることにしましょう」と言ってくれた。
ところが、そのつぎに父に会ったとき、父はきっぱりこう言った。
「お母さんから、おまえの奉公をやめさせて、給仕に出し、夜は学校に通わせては、という話を聞いたが、わしは反対じゃ。奉公を続けて、やがて商売をもって身を立てよ。それがおまえのためやと思うから、志を変えず奉公を続けなさい。
今日、手紙一本よう書かん人でも、立派に商売をし、多くの人を使っている例がたくさんあることを、お父さんは知っている。商売で成功すれば、立派な人を雇うこともできるのだから、決して奉公をやめてはいけない」
せっかくの母の思いであったが、幸之助は給仕になることを断念した。その後ほどなく父は病にかかり亡くなったが、この父の言葉は、奉公中はもとより、事業を始めてからも、ときおり思い出され、幸之助を支えてくれたのである。
*松下家を没落させたことを、常々、幸之助に詫びていた父のためにも、商売に成功して松下家を再興させることは、幸之助の大きなモチベーションになっていたことだろう。
おれは運が強いぞ
幸之助は、15歳のとき、町を走る市電を見て電気事業にひかれ、6年近く勤めた五代自転車商会をやめた。そして大阪電灯会社への入社を志願するが、欠員が出るまでの3カ月間、セメント会社で臨時運搬工として働くことになった。その間の出来事である。幸之助は毎日、大阪築港の桟橋から船に乗って仕事場に通っていた。
夏のころであったが、ある日、帰りに船べりに腰かけていると、一人の船員が幸之助の前を通ろうとして足を滑らせた。その拍子に幸之助に抱きついたので、2人はそのまま、まっさかさまに海に落ちてしまったのである。
びっくりした幸之助は、もがきにもがいてようやく水面に顔を出したが、船はすでに遠くへ行ってしまっている。"このまま沈んでしまうのか" 不安が頭をよぎった。が、ともかく夢中でバタバタやっているうちに、事故に気づいた船が戻ってきてようやく引き上げてくれた。"今が夏でよかった。冬だったら助からなかったろう"と、幸之助は自分の運の強さを感じた。
また、こんなこともあった。
松下電気器具製作所を始めたばかりの大正8(1919)年ごろ、自転車に部品を積んで運んでいたとき、四つ辻で自動車と衝突したのである。5メートルも飛ばされ、気づいたときには電車道に放り出されていた。そこへちょうど電車が来た。
"やられる"と目をつぶったが、電車は急ブレーキをかけ、幸之助のすぐ手前で止まった。部品はあちこちに散乱し、自転車はめちゃめちゃにこわれたが、幸之助はかすり傷一つ負わなかった。
これらの経験から幸之助は、"自分は運が強い。滅多なことでは死なないぞ"という確信を持った。そして、"これほどの運があれば、ある程度のことはできるぞ"と、その後、仕事をする上で大きな自信になったという。
雨が降ったら傘をさす
幸之助が会長になってまもないころ、ある新聞記者が取材に訪れて、こう質問した。
「松下さん、あなたの会社は急速な発展を遂げてこられましたが、どういうわけでそうなったのか、その秘訣というようなものをひとつ聞かせてもらえませんか」
「秘訣と言われても、特にそういうものはありませんが、あえて言えば、天地自然の理法に基づいて仕事をしてきたということですかな」
「それはいったいどういうことですか」
「いや、別にむずかしいことではありません。たとえば、あなたは雨が降ったらどうされるかというと、傘をさすでしょう。雨が降れば傘をさす、それが私は天地自然の理法に則した行き方だと思うのです」
「.........」
「つまり、そうした行き方の中に商売のコツというか、経営のコツがあるのではないかということです」
「.........」
「雨が降っているのに傘をささなかったら、濡れてしまう。だからだれもが傘をさす。そうすれば濡れないですむ。これは当然の話です。経営とか商売でも同様で、原価1円のものは、1円10銭とか1円20銭という適正な価格で売る。そして、それを売ったら、必ず集金をするといっただれでも考える当然なことをきちんとしていくことが大事です。
ところが現実の商売となると、原価以下で売ったり、売っても集金をしなかったり、あたかも傘をささずに歩きだすようなことを、しばしばしがちなんですね。
ごく当たり前のことを適時適切に行なっていけば、商売なり、経営というものは、もともと成功するようになっている。私はそう考えて、そのように努めてきたのですよ」
*幸之助は、「天地自然の法」「自然の理法」に従うという表現も使っている。