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他人を「許せない」感情の根源にあるのは? 脳科学者が説く、怒りを抑止する方法

中野信子(脳科学者)

2024年09月18日 公開

他人を「許せない」感情の根源にあるのは? 脳科学者が説く、怒りを抑止する方法

他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質である「ドーパミン」が放出されます。だからこそ人は、相手への攻撃を繰り返し、正義に溺れた「正義中毒」状態に陥ってしまうのです。本稿では、正義中毒から抜け出し、相手を許す方法について、書籍『新版 人は、なぜ他人を許せないのか?』より解説します。

※本稿は、中野信子著『新版 人は、なぜ他人を許せないのか?』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「なぜ、許せないのか?」を客観的に考える

まずは自分が正義中毒状態になってしまっているのかどうかを、自分自身で把握できるようになることがとても重要です。そのためのサインとして、まず「相手を許せない!」という感情が湧いてしまう状態そのものを把握する必要があります。どんなときに「許せない!」と思ってしまうのかが自身で認識できるようになれば、自分を客観視して正義中毒を抑制することができるようになるからです。

相手は対・人でなくても構いません。「このテレビ番組はバカバカしい」「○○党は許せない」「○○教は好きになれない」「最近の若い連中はなっていない」などといった怒りの感情が湧いたときは、その感情を増幅させてしまう前にひと呼吸置いて、「自分は今、中毒症状が強くなっているな」と判断するようにします。

このとき、誰かや何かを許せない自分自身を責めたり、卑下したりする必要はありません。人間はそもそもそういう愚かな生き物だからです。

むしろ心配すべきは、普段注意深くふたをしている感情が、何かのきっかけにより一気に大爆発してしまうことでしょう。それに比べれば、日々小さなことで「あいつはバカだ」と考えてしまったとしても、そのたびに自覚して「待てよ」と立ち止まれる方が、適切な抑止力になるのではないでしょうか。

もう少し、ポジティブなアプローチもしておきましょう。他人や自分たちとは異なるアウトグループを「許せない」「バカなやつだ」と思ってしまうのは、正義中毒が理由ではありますが、もう一歩見方を深めてみると、他人を構うことのできる程度には感情や思考のリソースに余裕があるという受け止め方もできます。

人間の脳全体の大きさや機能は、産業革命以降あまり変化していないという報告がありますが、少なくとも現在の生活は、当時とはかなり異なります。家事の機械化以前のようにご飯の煮炊きで奮闘したり、生活のために遠くから水を汲んでこなければいけなかったり、明日の食料を心配したりする必要は少なくとも先進国ではなくなっています。

現代の先進地域に居住する人は、その分だけ前頭葉で余計なことを考える余裕ができたということです。昔はコミュニティ外の他人がどうあろうと自分の暮らしと自分の身の回りの人々のことで精一杯で、コミュニティ(ムラ)の外の人のことなど気にするヒマはありませんでした。今は赤の他人を気にできるくらいはゆとりがあるということでもあるのです。それだけ、より住みよい世界になっているということでもあるわけです。

 

「昔は良かった」は、脳の衰えのサイン

もしあなたが「昔は良かったなあ」という気分に頻繁に浸ることがあったら、注意した方がよさそうです。昔を懐かしむ行為は脳の前頭前野が老化しているサインかもしれず、正義中毒と根が同じかもしれないからです。

脳は、過去の記憶を都合よく書き換えるようにできています。つらかった経験や日常的な要素はそぎ落とされ、良いことだけを都合よく組み合わせます。思い出される記憶は相当美化されているかもしれないことに留意する必要があります。もっとも、美化されているからこそ、「良かった」と回想する対象になるとも言えますが。

例えば、「昔は良かったなあ。昭和の政治家はみなワイルドで、個性的で根性があって、リーダーシップにあふれていた。あの頃に戻るべきじゃあないのか?」という話が時々出てくることがあります。みなさんもどこかで聞いたことのある内容かもしれません。もしかしたら、共感する人もいるかもしれません。

しかし、記録を丁寧にたどってみれば昭和の政治家が現役であったとき、現在よりも良かった、と肯定できるような情報をどれだけ見つけることができるか、というのはなかなか難しいところだろうと思います。

当時のマスメディアは、同時代の政治家の問題点を突き続けていたでしょうし、もちろん、選挙のルールも異なっています。長い時間をかけて改革し、今に至っているはずなのですが、そうした点はなぜかあまり想起されることはなく、あるいは忘れ去られてしまいます。そういった流れを自覚せずに「あの頃は良かった」と言うのは、いかにも都合のいい言い分ではないでしょうか。

人間がしばしばこうした思いにとらわれてしまう背景には、脳の老化があると考えられます。老化によって前頭前野の働きが衰えると、どうしても新しいものを受け入れにくくなっていくからです。

こうした思考パターンは、さまざまな場面で見ることができます。昔懐かしい歌や映像作品ばかりを楽しむようになる、昔話しか面白いと感じなくなる、似たような食事しか取らなくなる、新しい人と知り合うよりも昔の知り合いとの再会を好むようになる......などなど、もちろんそのすべてが悪いと言うつもりはありませんが、こうした傾向が出てきたら、前頭前野の衰えを疑うサインになります。

そして、ここにも記憶の美化がつきまといます。昔の恋人を懐かしいと思っても、現在は容姿も性格も変化してしまっているはずですが、記憶のなかでは当時の姿のまま変わらない、ということがしばしばあります。ともすると、自分の方からひどいことをして別れたはずなのに、記憶のなかではあくまで仲が良かった昔のまま、甘い時間だけを都合よく覚えているということも起こりがちになります。

自分がしたことは忘れてしまっていても、自分がされたことは忘れられない、ということはよくあることです。気を付けたいものです。

 

著者紹介

中野信子(なかの・のぶこ)

脳科学者

1975年、東京都生まれ。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所に博士研究員として勤務後、帰国。脳や心理学をテーマに研究や執筆の活動を精力的に行う。現在、東日本国際大学教授。

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