
日本初の母子漫才師「ワタルwithオカン」のお笑い講演家・ワタルちゃん。かつては常に他人をライバル視して生きていたといいます。しかし、ある日相方のオカンが教えてくれた「ワタルちゃん理論」によって、これまでの考えが一変されます。書籍『自分が「大好き!」になるオカンの教え』よりご紹介します。
※本稿は、ワタルちゃん著『自分が「大好き!」になるオカンの教え』(秀和システム)を一部抜粋・編集したものです。
「もともと敵なんかいない」と気づく
「無敵」という言葉は、一般的には「誰よりも強くて、敵がいない」という意味で使われます。強さを極め、すべての敵を倒した者が「無敵」だとされることが多いです。
しかし、ワタルちゃん理論を実践していくうちに、この言葉の持つ意味が僕の中で大きく変わっていきました。
ワタルちゃん理論とは、すべてを自分だと考える生き方です。目に見えるものや、出会う人、経験する出来事すべてが「自分」であるという視点で世界を捉えると、他人や物事と自分との間に壁がなくなり、すべてが一体化している感覚が生まれます。
この視点で生きると、他人と自分を比較したり、競争したりする必要がなくなり、さらに「敵」という存在も自然と消えていきます。なぜなら「すべてが自分」だと思えば、他者も含めて世界中のすべてが自分の一部になるからです。そうなると、敵という概念が成立しなくなります。
敵というのは、普通は自分に対して、反対や妨害をしてくる存在だと思われています。しかし、ワタルちゃん理論では、その敵さえも自分の一部と捉えるため、敵と呼ぶものは存在しなくなります。
つまり、最初から敵なんていない。すべてが自分であり、すべてが一つなのです。
だからこそ、僕の中で「無敵」という言葉の意味は、従来の「誰よりも強くて、敵がいない」というものから、「もともと敵なんかいない」という意味に変わりました。
本当の意味で無敵な人とは、外部に敵を見つけるのではなく、そもそも敵という概念自体が存在しないと気づけた人ではないでしょうか。
僕は、自分と他人を区別せず、すべてを自分の一部として捉えることができたとき、人は無敵になるのだと感じました。
かつての僕は、常に他人と競争し、ライバルを意識して生きていました。芸人としても、まわりの同期を「敵」として見なし、誰よりもうまくなろうと必死でした。しかし、ワタルちゃん理論を実践することで、他人と比べることや競争すること自体が無意味に感じられるようになりました。
すべてが自分なら、そもそも敵がいるわけがありません。他人を打ち負かす必要もなく、ただ自分自身を受け入れ、まわりの存在も同じように受け入れれば、それでいいのです。
ワタルちゃん理論を通じて、僕は「無敵」を感じながら生きることができるようになりました。
誰かと戦って勝つための強さを求めるのではなく、最初から敵なんていないことに気づくことで、本当の平和と安心感が得られます。
まわりの人々も、自然やモノも、自分の一部として感じられるようになり、そこには敵意や競争心が存在しなくなりました。
他人のために生きようとすると、自己犠牲や偽りが生まれることがあります。
しかし、すべてが自分であると感じれば、他人のために行動すること自体が、自分のためでもあるのです。 だからこそ、他人と対立する必要もなく、敵を作ることもなく、自然にやさしさや思いやりが生まれてきます。
ワタルちゃん理論を実践し、無敵を感じながら生きること。それは、自分と他人を一つの存在として受け入れ、すべてを大切にする生き方です。
この世界には、もともと敵なんていないことに気づけば、僕たちも無敵になれます。あなたも一度、自分がすべてだと感じてみてください。
人にやさしくなれることで自分も笑顔になる
以前の僕は、電車に乗っていても、お年寄りが乗ってきたときに席を譲ることはありませんでした。むしろ、座席に座っていて、お年寄りが電車に乗ってきたとわかった瞬間、寝たふりをして、見ていないふりをしてしまうことがほとんどでした。
譲るべきだという気持ちが頭の片隅にあっても、心の中では「自分も疲れている」「このまま座っていたい」と思ってしまい、結局、行動に移していなかったのです。
でも、ワタルちゃん理論を実践していくと、そうした自分の態度が自然と変わっていきました。この理論では、すべてを「自分」として捉えます。目の前にいる人も、すれ違う人も、電車の中の乗客も、すべてが「自分」の姿をしていると考えるのです。
ワタルちゃん理論を実践することで、他人との区別や壁が消え、まわりの人々に対する見方が大きく変わっていきました。ある日、いつものように電車に乗っていると、お年寄りの方が乗ってきました。以前の僕なら、すぐに寝たふりをして気づかないふりをしていたでしょう。
しかし、その日は違いました。ワタルちゃん理論を思い出し「お年寄りという姿をしたワタルちゃんが乗ってきた」というふうに捉えたのです。
すると、今までとはまったく違う感覚が生まれてきました。そのお年寄りは、他人ではなく、自分自身が別の形をして現れたもの。そう感じた瞬間、席を譲ることが自然な行動として頭に浮かびました。
席を譲ることに対して、特別な「いいことをしている」という意識はありませんでした。ただ「お年寄りの姿をした自分が乗ってきたのだから、どうすれば喜んでくれるだろう?」という考え方が自然に湧いてきたのです。
実際に席を譲ってみると、お年寄りの方が笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。その笑顔を見て、譲った僕自身も笑顔になりました。
以前なら「他人のために何かをしている」感覚で「自分が譲ってあげた」と感じていたかもしれませんが、今はそうではなく「自分が自分に席を譲った」と感じたのです。だからこそ、自然にお互いが笑顔になるという不思議な感覚が生まれました。
ワタルちゃん理論を実践していると、まわりの人に対する見方が根本から変わります。誰かに何かをしてあげるという意識ではなく、目の前にいる人が自分の一部だと考えることで「相手に喜んでもらうこと」が「自分を喜ばせること」につながるのです。
だからこそ、他人に対してやさしくなれて、自然と助け合う行動ができるようになります。これは、単なる自己犠牲や義務感からくるものではなく、自分の一部である相手を大切にしたいという気持ちから生まれる行動なのです。
ワタルちゃん理論の素晴らしいところは、こうした行動が自然にできるようになること。以前は、いちいち「譲るか否か」と悩んでいたのに、今はそうした迷いがなく、ただ自然に「どうすれば相手(自分)が喜ぶだろう?」と考えるようになっています。
それは決して、自分を犠牲にすることではなく、自分自身を満たす行為であり、その結果として相手も喜ぶという素晴らしい循環が生まれます。
この感覚を通じて、僕は「他人を喜ばせること」と「自分を喜ばせること」が本質的に同じであることに気づきました。そうなると、相手を思いやり、やさしく接することが、自分にとっても心地よいことになります。ワタルちゃん理論を実践して生きていると、この世界のすべてが自分自身であり、そのすべてから好かれている感覚が広がっていきます。
今では、電車でお年寄りが乗ってきたとき、自然と席を譲れる自分がいます。そして、席を譲った相手の笑顔を見て、自分も幸せな気持ちになります。
これが、ワタルちゃん理論の力なのだと実感しています。
すべてを自分だと思い、すべてとつながりながら生きることで、他人とともに喜びを分かち合い、心から笑顔になれる日々が訪れるのです。