30歳過ぎに届いた「真っ白なアルバム」 メールで告げられた、母の驚きの懺悔
2025年05月05日 公開

社会学者の中井治郎さんは、30歳を過ぎたころ、母から写真の1枚も入っていない真っ白なアルバムが届いたといいます。その空白のアルバムに象徴される母の想いとは――。
※本稿は、月刊『PHP』2022年2月号より、内容を一部抜粋・編集したものです
30歳を少し過ぎたころ、母から届いたもの
母親からの届きものというのは油断のならないものである。人生でいちばん古くから自分のことを知っている人から届くものだからだ。いつもの呼び鈴の音とともに、あなたの人生をひっくり返すような秘密が届くかもしれない。
母からそのアルバムが届いたのは僕が30歳を少し過ぎたころだった。ガムテープをばりばりと剥がすと、箱の中から出てきたのはレトロな小鹿のキャラクターと僕の名前が表紙にあしらわれた分厚くて立派なアルバムだった。
僕は4人兄弟の第三子である。そういえば他のきょうだいにもそれぞれこんなアルバムがあったのを思い出した。真新しい産着を着た赤ん坊のころから順に写真が貼られ、その成長を見守る母の言葉も書き込まれていたと思う。
しかし、これまで気にしたこともなかったのだが、たしかに僕自身のアルバムは見たことがなかった。やはり生まれたばかりの写真から始まるのだろうか。そんなことを考えながらアルバムを開いてみる。......真っ白だった。
さらに頁をめくる。やはり真っ白。めくっても、めくっても、1枚も写真が出てこない。結局、僕のアルバムは最後の頁まできれいに真っ白のままだった。
はじめて聞かされた母の懺悔
しばし呆気にとられたが、ああ、こういうことかとようやく腑に落ちる。じつはその少し前に母から、あるメールが届いたのだ。
「4人の子供を育てるなかで、実はあなたにだけはどうしても興味を持てなかった。それがずっと心に引っかかっていた」
寝耳に水とでもいうべきか、はじめて聞かされた母の懺悔だった。そんなこと僕は今までいちども感じたことはなかったのに。
母はいわゆる昭和のワンオペ主婦だった。穏やかとはいえない家庭で4人の子供を育て上げ、その負けん気のまま父と離婚。姉と妹を連れて家を出ていった。
しかし、どうやらそんな波乱の日々のなかで心残りなこともあったようだ。写真が一枚も貼られていない真っ白なアルバムは、そんな母の悔いを象徴するものだったのだろう。
家を去るときにも僕が残る場所に置いていくことはせず、そのずしりと重いアルバムを、母は自分の荷物に忍ばせた。そしてそれを捨てることもしなかった。母は30年以上もその真っ白なアルバムとともに生きたのである。
そして、いまようやくこのアルバムは母から表紙の名前の人間に手渡された。これでついに彼女の子育てが終わったということなのだろう。ああ、こんなにも長い間、本当にごくろうさま。そう思いながら、真っ白なアルバムをぱたりと閉じた。