「中今」結果ではなく今に集中 神道に学ぶ、自分なりの“正しい生き方”とは?
2025年06月09日 公開

神道では「清く正しく生きること」が生き方のテーマとなっています。しかし、実際に「正しい生き方」とは何か、神様は具体的に教えてはくれません。だからこそ、一人ひとりが自分にとっての「正しい生き方」を考える必要があります。
本稿では、青森県にある廣田神社の宮司・田川伊吹さんの著書『宮司の経営』より、人生を成功へ導く簡単な方法を解説します。
※本稿は、田川伊吹著『宮司の経営』(クロスメディア・パブリッシング)を一部抜粋・編集したものです。
神道的理念のすすめ
「神道」は別名、「惟神(かんながら)の道」とも言われます。これは「神の意に従って生きる」といった意味で、神道とは何かを端的に表しています。さらに簡単に言えば「清く正しく生きる」ということです。
では「清く正しく」とは、具体的にどのように生きればよいのか、その細かい解釈は神職であっても人によって少しずつ違うでしょう。神道には明確な教えがないからです。
自分なりの「正しい生き方」を考える
「正しい生き方」とは何か、神様は具体的に教えてはくれませんし、神職であっても正解はわかりません。つまりは、一人ひとりが自分にとっての「正しい生き方」を見つけるしかないのです。
伊勢・豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の神官だった中西直方(なかにしなおかた)の詠んだ歌に「日の本に生まれ出にし益人(ますびと)は、神より出でて神に入るなり」という歌があります。これは「日本に生まれたすべての人は、神様から命を受けて、やがて神のもとへ帰っていく」という意味です。
この歌にあるように、私たちの命は神様から与えていただいたものです。だからこそ、このいただいた命をどう生かしていくのかを考えなければならないのです。
その際、意識したいのが「自分軸」です。
自分の価値観や判断基準を大切にして、「神様に見られても恥ずかしくない自分の生き方」を決めてほしいのです。自分を信じて、自分をどのように生かしていくのかを考えてみましょう。
「自分軸」を大切にできれば、他人にも寛容になれます。すべての人が、それぞれの「自分軸」をもって生きていることを理解し、認められるようになるからです。
人の数だけ自分なりの「清く正しい」生き方があり、それを尊重して、共生していかなければなりません。神様が決めた「正解」はないのですから、これもまた、神道的な考え方でしょう。
「今」を精一杯生きる
神道でよく用いられる言葉に「中今(なかいま)」があります。中今というのは「過去と未来を結ぶ中心点にある現在」という意味です。
延々と続く時間のなかで常に直面する一瞬一瞬の今を精一杯生きること、それを「中今精神」として、神道では大切にしています。そうすれば、祖先から受け継いだ歴史を大切にしながら、幸せな未来を切り開いていけるからです。
最近、私が「中今精神」を感じたのは、パリオリンピックのスケートボード女子ストリートに出場した吉沢恋(ここ)選手です。
吉沢選手がお兄さんの影響でスケートボードを始めたのは7歳のときで、近くの公園で、自分のやりたい技(トリック)ができるまで何時間も練習することがあったと言います。それでもそのときは、大会に出場したいといった目標はなかったそう。
ところが令和3年(2021)、テレビで東京オリンピックを観戦していた吉沢選手は、2歳年上で当時13歳の西矢椛(もみじ)選手が披露したトリックを見て驚きます。そのトリックはすでに自分が習得していたものだったからです。
そこから「もしかしたら、自分も......」と考えるようになった吉沢選手は、その年の末には日本の強化選手に選ばれ、翌年からは国際大会に参加。オリンピックへの出場が現実となります。
吉沢選手の金メダルは、今できることに懸命に取り組んだ、その積み重ねがあったからこその結果といえます。とても神道的だなと感じたエピソードでした。
結果だけを求める生き方をすると、往々にして今を蔑ろにしがちです。もちろん、目標をもつのはよいですが、目指すものがあるからこそ、中今に集中して努力しなければなりません。
そして、「昔はよかった」「なんであんなことをしてしまったんだろう」などと、過去に執着するのももちろんいけません。
中今を懸命に生きれば、おのずと結果はついてきます。