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「公共図書館はこの国の民主主義の最後の砦だ」 非正規化も進む司書の重要な役割

つのだ由美こ(大学図書館司書)

2025年07月07日 公開

「公共図書館はこの国の民主主義の最後の砦だ」 非正規化も進む司書の重要な役割

映画の中で、ポイントとなるシーンによく登場する図書館。恋愛映画では、本を通じて二人の距離が近づく場所や、デートの場所。サスペンスやアクションでは、司書のアドバイスで事件が解決、ときには本が武器になることも。

そんな図書館や司書が登場する映画のことを、研究者のあいだでは「図書館映画」と呼んでいるそうです。

本稿では図書館映画の1作「パブリック 図書館の奇跡」を題材に、図書館の魅力をつのだ由美こさんに解説して頂きます。

※本稿は、つのだ由美こ著『読書を最高のエンターテインメントに 本が大好きになる図書館の使い方』(秀和システム)を一部抜粋・編集したものです。

 

怒れる司書

「声を上げろ」と言われても、実行するのは容易ではありません。
では、何のためなら声を上げられますか?

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稀に見る大寒波に襲われた米オハイオ州のシンシナティ公共図書館では、大勢のホームレスが寒さを凌ぐため来館する毎日。そんな中、司書・スチュアートは積極的に彼らに話しかけたり、ときにはお金を支援したりするなどしていました。

ある日、館長のアンダーソンに呼び出されたスチュアートは、図書館が訴えられたことを聞かされます。じつは最近、ある利用者の体臭について、ほかの利用者や職員から苦情が連日寄せられていたのです。
スチュアートは、原因の男性に対して退館を求めました。その男性が、差別的に扱われたとして図書館を訴えたのです。

被告の身になったスチュアートは戸惑いを隠せません。
そして、今年いちばんの冷え込みに。ついに、公共図書館の玄関前で凍死者が出てしまいました。

すると、その日の閉館10分前、スチュアートの元に常連のホームレスがやってきて「今夜は帰らない。ここを占拠する」と宣言しました。すでに市のシェルターはいっぱいで、身を寄せる所がありません。約70人ものホームレスがいます。

彼らの身を案じたスチュアートは、館長に今夜はホームレスのために図書館を開放しようと提案しましたが、館長は「ここは公共図書館だ。シェルターじゃない」と拒否。さらに、訴訟の件でスチュアートは解雇されると告げました。

スチュアートは、ホームレスが占拠した3階へ。本棚や椅子を使って出入り口を封鎖すると、市警やメディア、次期市長候補が押し寄せて大騒ぎに。
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図書館が象徴しているものは何か?

スチュアート役のエミリオ・エステベス監督は、とにかく図書館が大好き。子どものころから安心できる場所だったそうで、図書館が自分の家のようでした。

監督がこの映画を作ろうと思ったきっかけは、ソルトレイクシティ公共図書館の元副理事が2007年に「ロサンゼルス・タイムズ」に寄稿したエッセイです。
エッセイには、ソルトレイクシティ公共図書館での実体験が書かれています。

たとえば、図書館の開館時にホームレスが列をなして待っていること、臭いの問題、警察沙汰、図書館がシェルターやソーシャルワーカーの代わりになっている現状。それらの負担が大きくて、司書が退職することや、家に帰って泣き出す日があることなど。この映画で描かれているとおりです。

監督は映画を作るにあたり、まず公共図書館に来る人々をよく観察して、利用者や司書と話し、司書の仕事のルーティーンや薬物の対応研修まで、図書館が置かれている現状を入念にリサーチしました。
撮影した場所も、劇中と同じシンシナティ公共図書館です。閉館後の夜の図書館で撮影されました。

映画の原題"The Public"というタイトルに込めた意図について、エステベス監督はこのように話しています。
「図書館というのは、突き詰めれば建物にすぎません。しかし、それが守っているものは、図書館だけの問題ではないのです。図書館が象徴しているものは、我々みんなの権利です。それは集会の権利であり、情報へのアクセスの自由であり、発言する自由なんです」

 

届かなかった「図書館をなくさないで」の声

この映画では、素敵な言葉がたくさん出てきます。
なかでも強い印象を残すのが、館長の「私は市民の情報の自由のために全人生を捧げてきた。公共図書館はこの国の民主主義の最後の砦だ」という言葉です。

館長の言うとおり、図書館にとっての民主主義とは、人々が情報にアクセスする自由を守ること。それは日本でも同じです。
では、実際はどうなのでしょうか?
たとえば2024年、東京都清瀬市が6館ある市立図書館を2館に減らすことを決定。市民からは反対の声が上がりました。

閉館の是非を問う住民投票を求めて、市民団体は7000筆を超える署名を集めて提出しました。しかし翌年の市議会で、住民投票の実施は賛成7、反対12で否決。結果、住民投票は実現しませんでした。

閉館予定だった「こども図書館」は当面存続されることになりましたが、それ以外の図書館はやはり閉館することに。署名には子どもたちからの「図書館をなくさないで」という声も多く寄せられていました。

 

砦になるか、砂上の楼閣になるか

図書館というと、司書は大人しくて館内も静かで、どことなく平和に見えるかもしれません。ですが、この映画や清瀬市の件のように、一筋縄ではいかない問題も抱えています。
また最近メディアでも報じられているとおり、司書の非正規化もかなり深刻です。

図書館が民主主義の砦だとしたら、司書は砦を守る戦士のはず。けれど、戦士が痩せ細っていては砦を守れないでしょう。それに、スチュアートのような勇気ある戦士がたった一人しかいないなら、長く守ることはできません。

図書館が砦になるのか、砂上の楼閣になるのかは紙一重なのです。
本項の最後は、このエミリオ・エステベス監督の言葉で締めましょう。
「図書館を舞台にした映画というのはそれほど数多くなく、司書という仕事も、映画ではなかなか取り上げられません。でも彼らの仕事というのは本当に大切で、利用者が司書に尋ねごとをするのは、神聖なおこないだと思います」

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