「苦労して初めて身のためになる」開業から54年、銀座ろくさん亭・道場六三郎さんの信念
2025年07月24日 公開
成長のための試練だと思えば、自分にできることが見えてきます。銀座の名店「銀座ろくさん亭」の料理人・道場六三郎さんに、料理人として歩んできた道のりを振り返っていただきました。(取材・文:金原みはる)
※本稿は、月刊誌『PHP』2024年8月号より内容を抜粋・編集したものです
※写真はイメージです
両親からよく聞かされた「鴨居と障子」の話
真っ暗な夜のあとには、必ず明るい朝が来る。戦争の苦しい時代を生き延びてわかったことです。だからでしょうか、僕は、打たれ強いんです。どんなに苦しいことがあってもそれは今だけで、「なんとかなるさ」の精神で辛抱し、ささいなことではくよくよしない。「健康な体で生まれてきただけでも幸せ者なんだよ」という両親の言葉を胸に、愚痴を言うこともありませんでした。
ただ、そんな僕でも、料理人の修業を始めて間もないころは、心が折れそうになったことがありました。修業先の板長から、理不尽ないじめを受けたんです。
気性の荒い人で、大した理由もなく、殴る蹴る。開店準備が間に合わなくなるまで僕を調理場から閉め出しておいて、挙げ句に「遅いぞ、ボケ!」と怒鳴るのですから、たまりません。正直、もう辞めたいと思ったことも何度かありました。
しかし、そんなときに頭をよぎったのは、両親からよく聞かされた「鴨居と障子」の話でした。家の鴨居に新しい障子戸が合わなかったら、もともとある鴨居ではなく、障子を削って調整するのが普通です。それをたとえに、「店や先輩は鴨居で、六ちゃんは障子だよ。何もわからないうちは我を出しちゃいけない。障子になったつもりで我を削りなさい」と教えてくれたのです。
店には長年守ってきたしきたりがあるように、意地悪な板長にも何か訳があるのでしょう。そう考えたら、相手に態度をあらためてもらうよりも、まず自分を変えようと思えるようになりました。それから泣き言は一切言わず、毎日朝6時から夜11時まで一生懸命に働きました。
人が3年かかって覚える仕事を1年で身につけたくて、とにかくスピーディーに手を動かしました。たとえば人がキュウリやネギを3本重ねて切るなら、僕は4本、5本といっぺんに切ってみる。もちろん速いだけではだめで、見た目もきれいでなくてはなりません。
調理場に立つときは、「きれいに速く」をまるで呪文のように念じながら作業するのが僕のやり方です。
不利な条件を超えるもの
「きれいに速く」は調理場や道具の使い方でも意識しました。まな板は使ったらすぐに清潔なふきんで拭く。冷蔵庫は、必要な食材がすぐに取り出せるよう、いつでも細かく整理整頓して、どこに何が入っているかメモに書いて扉に貼っておくのです。これだけでも時間のムダがなくなり仕事がはかどります。
そうやって二人分働けるような生産性を意識し、自分にしかできないことをやるよう努めました。無心に働くうちに板長は僕を認めてくれるようになり、だんだんと態度も変わっていきました。
苦しいから、つらいからと逃げ出してしまえば、それまでの努力が泡と消えてしまいます。何があっても、これは自分の成長のために与えられた試練なのだと考え、辛抱することです。
「石の上にも三年」とよく言いますが、不思議なことに3年たつと見える景色が変わってくる。自分の技術も上がり、周囲との関係もぐんとよくなるんです。経験者の僕が言うのですから、間違いありません。
また、二宮尊徳の「風呂の湯の哲学」も大切にしてきました。人間関係は風呂の湯のようなもので、自分の利益ばかり考えて湯を手前にかき寄せても、脇をすり抜けて向こうへ流れていってしまう。けれど利他の精神で相手のほうに押せば、湯はぐるっと回って自分のほうへ返ってきます。
要するに、相手に何かしてもらおうと期待するのではなく、自分から与えること。それが人間関係をよくする秘訣ではないでしょうか。僕は、近所の人と会ったときは自分から笑顔がで「おはようございます」とあいさつします。
「今日もお天気がいいですね」などと言葉を交わせば、おたがいその日はなごやかな気分でいられるのです。
商売も同じです。自分の成功より、まずどうしたらお客様に喜んでいただけるかを考える。「銀座ろくさん亭」を開いて54年になりますが、そのことだけは心がけてきたつもりです。
決して恵まれたスタートではありませんでした。1971年の開店当時は、飲食店といえばビルの1階か地下1階、せいぜい地上2階にあるのが普通でした。ところが私の店はビルの9階です。「そんな上までお客様が来てくれるのか?」と、先輩方からはずいぶん心配されました。
しかし、「惚れて通えば千里も一里」ということわざもあります。料理がおいしくて、おもてなしがよければ、贔屓にしてくださる方はきっといるはずだと思いました。
寒い冬、わざわざエレベーターに乗って来てくださった方には、店先でお待ちいただく際に、熱いヒレ酒をサービスしました。
一度でも来てくださった方には、季節のごあいさつの手紙を出しました。頼まれれば、トラックに食材を積んでどこへでも行き、出張料理もいたしました。
僕が一番つらいのは、せっかく自分の店を選んでくださったお客様がいやな思いをされること。「おいしかった、くつろげた」と笑顔になっていただくために、精いっぱいのおもてなしを心がけてきました。おかげさまで開店から一度も赤字を出すことはなく、感謝してもしきれません。
いつまでも新しいことにチャレンジ
コロナ禍で世の中が沈んでいるさなかに、YouTubeチャンネル「鉄人の台所」を始めました。紹介しているのは、これまでやってきた料理屋の献立ではなく、家庭で簡単にできる料理ばかりです。
9年前に妻を亡くし、僕も初めて家のおかずを作るようになりました。冷蔵庫の残りもので何ができるかなとあれこれ考えるのも新鮮な体験で、アイデアがどんどんわいてくるんです。大根おろしにマヨネーズとレモン、砂糖を加えた「マヨおろし」など、我ながらおどろくほどうまい。
ほかにもバナナを和風に仕立てたり、海老とリンゴを揚げてみたりと、発見の連続です。
店の料理でも、常々「交わりは進化なり」と言ってきました。意外な食材を組み合わせることで、日本料理の概念を変える新しい一皿が生まれます。お客様におどろきや感動を提供できることが、僕にとっての幸せなのです。
動画で配信しているレシピでも、同様の感動を味わってもらえたらうれしいですし、僕が監修したお惣菜も販売していますので、ぜひ召し上がっていただきたいです。
妻がいないさびしさやコロナ禍という逆境が、思わぬ新しいチャレンジのきっかけになりました。「次はどんな料理を作ろうか」と、夜も眠れないくらい考えこむこともあります。
でも、苦労して初めて身のためになる。人に喜んでもらうことが僕の生きがいなので、それはそれで楽しいのです。
94歳になりましたが、これからも人に何かを差し上げられる料理人でありたいと思っています。
【道場六三郎(みちば・ろくさぶろう)】
1931年、石川県生まれ。’71年に「銀座ろくさん亭」を開店。’93年から放送されたテレビ番組「料理の鉄人」で人気を博す。2023年には千葉県松戸に「懐食みちば」をオープン。著書に『91歳。一歩一歩、また一歩。必ず頂上に辿り着く』(KADOKAWA)などがある。
![月刊PHP 2024年 8月号 [くじけても今を生きる]](/userfiles/images/book2/B00LV3KPVE.jpg)







