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- 村上春樹は夫婦を描き続けてきた 三宅香帆さんが思う「男性がパスタをゆでる」だけじゃない側面
文芸評論家・三宅香帆さんの新刊『「夫婦」不在社会』が刊行されました。忙しい現代において、「仕事」と「家庭」をどう両立すればよいのか。昭和から令和にかけてヒットした小説、ドラマ、映画を分析しながら、物語を通して家族の形やこれからのパートナーシップを考える一冊です。
本書は、村上春樹さんの作品を「夫婦」の視点から読み解く、村上春樹論としての側面も持っています。インタビュー前編では、村上作品に描かれた夫婦像の変化や、最新作『夏帆─The Tale of KAHO─』について、三宅さんにお話を聞きました。
日本の作品は「パートナーシップ」を描くことが少ない

――なぜ「夫婦」というテーマで執筆されたのでしょうか。
【三宅】日本の作品は、海外作品に比べて、パートナーシップを描くことが少ないと思っていました。一方で、意外にも村上春樹さんの作品にはパートナーシップを描いているものが多いんです。その二つを組み合わせて書けないかな、と思ったのがきっかけですね。
――三宅さんは以前、『娘が母を殺すには?』という母娘問題をテーマとした書籍を執筆されています。『「夫婦」不在社会』は、その延長線上にあるのでしょうか。
【三宅】そうですね。やはり母娘問題が起きる原因には、「夫が家に不在であること」が大きく関わっているのだと思います。本来は夫婦でケアし合うべきところを、娘が負担を強いられている。その構造に気づいたとき、では、なぜ夫婦の間でケアがなされないのだろうということを、きちんと書いてみたかったんです。
――本書では、現代の親子関係が以前よりも密になっていることが指摘されています。その点も課題として捉えられていたのでしょうか。
【三宅】課題とするかどうかは、少し難しいと思っています。親子仲がいいこと自体は悪いことではありません。ただ一方で、やはり夫婦の話は少なく、同時に、親子の話が多いとも感じていた、ということですね。
村上春樹作品が描いた、多様な「夫婦」の姿
――今回、村上春樹さんの作品を「夫婦」という視点から読み解いてみて、新しい発見や気づきはありましたか。
【三宅】本を刊行してから、「村上春樹がこれほど多く"夫婦"について書いていたとは気づかなかった」という反響をたくさんいただきました。そこに意外性があるのだなと感じています。また、ひと口に夫婦の物語といっても、その描かれ方は多様であることにも、改めて気づかされました。
――本書では、『風の歌を聴け』から『ねじまき鳥クロニクル』までをたどると、夫婦像や男性像の描かれ方にも変化が見られると指摘されていました。『風の歌を聴け』では、パートナーと対話せず「黙る男性」が描かれる一方、『ねじまき鳥クロニクル』では、「夫婦の対話を試みる男性」が登場します。その意味では、一歩前進したようにも読めます。こうした変化には、当時の社会状況が反映されていたのでしょうか。
【三宅】村上さんが社会の変化を意識し、それを作品に反映させていたかどうかは、判断の難しいところだと思います。むしろ、社会が変化するよりも先に、村上さんの作品のなかで変化が起きていたのではないでしょうか。『ねじまき鳥クロニクル』も、すでに30年以上前の作品ですから、そう考えると非常に早かったと思います。そして、社会の側でも変化が進んできた今だからこそ、改めて読み直す価値があるのではないでしょうか。
「独身男性がパスタをゆでる話」として見立てられてきた?

――本書では、『TVピープル』に収録されている短編「眠り」にも言及されています。突然眠れなくなった主婦を描いた作品ですが、そこでは、「息子」のままであろうとする夫に対して、主人公が抱く嫌悪感が描かれています。1980年代に、男性作家が女性の内面をここまで踏み込んで描いていたことに驚きました。
一方で、村上さんのこうした一面は、これまであまり広く認識されてこなかったようにも思います。それはなぜなのでしょうか。
【三宅】すごく売れているものは、同時に誤解されているものなのかな、とも思います。もしかしたら、村上春樹さんという作家を、そういうふうに見立てたい人たちがいたのかもしれません。
要するに、村上作品を「独身男性がパスタをゆでている話」として見立てたかった。そのほうが面白いと思うメディアや、文章を書きやすい人たちがいたのではないでしょうか。
――なるほど。ミーム的に扱ううえでも、そのイメージのほうが分かりやすかったかもしれませんね。
『夏帆─The Tale of KAHO─』をどう読んだか
――『「夫婦」不在社会』の刊行直前には、村上春樹さんの最新作『夏帆─The Tale of KAHO─』も発売されました。『「夫婦」不在社会』を読んだあとに『夏帆』を読むと、「眠り」との関連性が見えたり、中盤からは「母殺し」の物語のように感じられました。率直に、どのように読みましたか。
【三宅】やはり面白かったですね。私は『新潮』に掲載されていた時期から読んでいたのですが、途中から「母殺し」の話になって、びっくりしました。
同時に、どこか「村上さんにとって物語とは何か」という問いにもつながっているように感じました。物語論を女性の視点から描いている点も含めて、非常に興味深かったです。「眠り」に連なる系譜の作品だと思いますし、私自身の関心とも重なる部分がありました。
また、村上さんの作品には、これまで母親という存在がほとんど登場してこなかったんです。登場したとしても、どこか恋人的なイメージを持つ、いわゆる母親像とは異なるキャラクターとして描かれていました。その意味でも、今回の作品はとても珍しいと思います。村上作品には、このまま母親が登場しないのではないかと思っていたので、一読者として驚きましたね。
――なぜ、このタイミングで母親を描いたのだと思われますか。
【三宅】作者自身がどのように考えていたのかは分かりません。ただ、読んでいて感じたのは、物語と対峙していくと、やがて自分のルーツである親との関係に行き着くのではないか、ということです。
物語の世界に深く入り込んでいくなかで、夫婦の問題に突き当たったり、親子の問題に突き当たったりする。これは、村上さん自身の物語でもあるような気がしています。









