1. PHPオンライン
  2. くらし
  3. 時を越えて生きる古代出雲の文化

くらし

時を越えて生きる古代出雲の文化

小林祥泰(国立大学法人島根大学学長)

2013年01月01日 公開 2022年12月07日 更新

 

 医薬の先進地域だった出雲

 『古事記』に薬が出てくるもう1つの場面は、大国主命が大火傷で死にそうになったときです。天から女の神様――蚶貝比売〈きさがいひめ〉と蛤貝比売〈うむがいひめ〉――が遣わされて治療を施しました。

救いの主である2人の神様は出雲大社本殿の横の天前社に祀られていますが、前者は赤貝、後者は蛤の神様です。まるで火傷の処方が名前についているような感じで、当時の薬を象徴しているのではないかと考えたくなります。

というのは、蛤や牡蠣に含まれているキトサンは炎症を抑える作用があり、人工皮膚などの原料として使われます。火傷の部位に人工皮膚を貼り、皮膚を回復させるという方法は現代でも基本的な治療法です。火傷には蛤と赤貝が効く、という専門知識があったのでしょう。

現在は主に蟹の甲羅などからキトサンを取り出していますが、松江の北東に位置する中海という汽水湖は赤貝の産地であり、私の子どもの頃は生産量日本一を誇っていました。古代出雲であれば、蟹でなく赤貝のほうが自然です。

ちなみに、大国主命が火傷した事件は因幡の八上比売に求婚した帰りに起こりました。そこから名づけられたと思うのですが、八上薬という伝承薬が鳥取にあります。赤貝の殻を潰し、蛤の身を使ってつくったペーストに混ぜるというもので、出雲神話そのままの薬です。

また、奈良時代に編まれた『出雲風土記』には60数種類の薬草が出てきます。他の風土記はせいぜい1桁です。同じく奈良時代の木簡には出雲の薬草が「調」(税の1つ)として収められたと記されていますし、厚生行政を担当するのは出雲臣でした。

それから、平安時代に書かれた日本最古の和漢薬の医学書『大同類聚方』には「元は大国主命の薬」「元は少彦名命の薬」と書かれたものが多い。少彦名命は大国主命の国造りを手伝った神様で、2人は医薬の神様として全国で祀られています。

さらに、温泉(昔は温泉が医療に使われたのです)の神様にもなっています。これらのことは、出雲が医薬の先進地域だったことをうかがわせるのに十分すぎるといってもいいでしょう。

 

 現在まで続いている古代の文化

古代から途切れずに続いてきているものが島根県にはいろいろとあります。代表的なのは出雲大社ですが、他にも『出雲国風土記』に載っている300あまりの神社の多くが残っていて、北東に何里、何歩と記された『出雲国風土記』の記述を追体験できます。

現在まで続いているということでは、蹈鞴〈たたら〉吹きの技術もそうです。これは古代から伝わる和製の製鉄法で、いまでも日本刀は出雲の蹈鞴でつくられた玉鋼を使っています。

そればかりか、蹈鞴吹きの鉄を研究している会社は、その成果を人工衛星や飛行機の部品に使う特殊鋼製造に生かしていますから、蹈鞴吹きの技術が現在のハイテク製品にもつながっています。なお、現代の技術で蹈鞴吹きの鉄を再現しようとしてもまったく同じ性質のものはできないのだそうです。

こういった島根県に残る素晴らしい財産を、島根大学が十分に研究してきたとはいえません。大学には地域の文化拠点という役割もあります。そこで、私が学長になった平成24年(2012)、古代だけでなく近代に至る間に生まれた文化も含めた「出雲文化学コース」を設ける取り組みを始めました。その一環として、「古代出雲文化フォーラム」を平成25年(2013)3月に東京で開催します。これは平成24年が『古事記』編纂1300年にあたることを記念したイベントです。

最後に1つ、残念な現実に触れておかなければなりません。『出雲国風土記』に出てくる宍道湖・中海の魚介類はほとんどが現在も採れます。しかし、1つだけ欠けている。それは赤貝です。堤防で海との間を閉ざした後に姿を消しました。30年経って、中海干拓が中止され、環境を戻そうとしていますが、まだうまくいっていません。

もし、環境の復元に成功して赤貝が復活したならば、50年前の昔に戻すことで『出雲国風土記』のできた時代に戻ることになります。願わくば、蛤も復活させたいところです。大国主命を救った2人の神様が出雲の地に甦るのですから。

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×