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生き方

エルトゥールル号の奇跡~日本とトルコを結ぶ絆

童門冬二(作家)

2013年02月06日 公開 2021年08月05日 更新

「真心」の記念塔

ただし、日本とトルコのような関係は、決して特別なものではないだろうと私は思います。もちろん共通する精神性により、相互理解が容易 〈たやす〉 かったであろうことは間違いありません。しかしそれ以上に、お互いの「真心」を裸でぶつけ合う機会に恵まれたからこそ、現在の幸福な関係が結ばれているのだと思うのです。

 エルトゥールル号事件も、テヘランの邦人救出も、「自分たちが助ける」という強烈な自主の精神に基づく骨太なヒューマニズムがあればこそ実現したものでした。これらをきっかけに結ばれた両国の絆は、当初から政治などの枠組みを超えた「人と人との真心のつながり」であり、だからこそ長い時を経ても、その絆は切れることがなかったのです。

 人と人とが真心でつながることは、いかなる国とであれ可能なはずです。平成15年(2003)に京都府綾部市で、イスラエルとパレスチナの紛争等で肉親を亡くした子供たちを招く交流行事「中東和平プロジェクト.in綾部」が挙行され、以後、各地で同プロジェクトが行なわれました。このプロジェクトで交流を深めたイスラエルとパレスチナの子供たちは、「僕たちが大人になったら、戦争をしないで、今回のように仲良く語り合えるような国になりたい」と口々に語ったといいます。

 「真心」でつながる時、日本とトルコのような絆は、どの国であっても結ぶことができる。むしろ現在の日本とトルコの関係こそが、それが決して夢ではないことを示す、何よりの証だといえるのではないでしょうか。

 紀伊大島の樫野崎には「トルコ軍艦遭難慰霊碑」が建っています。事故後すぐに日本人が慰霊碑を建ててトルコ将兵を追悼していることを知って感激したトルコ共和国初代大統領のケマル・アタテュルクが、トルコの国費を投じて昭和12年(1937)に新たに建立したものです。この慰霊碑を大島の人々(そして大島の小学生)が今も清掃し、大切に追悼し続けており、そしてそれに対する感謝が、トルコの方々から寄せられている…。お互いの真心は、この地で幾久しく紡がれ続けているのです。この慰霊碑は、何より「真心の記念塔」でもある――私はそう思います。

<掲載誌紹介>

『歴史街道』2013年3月号

2013年3月号の読みどころ
「私たちは、この恩を決して忘れません」。
明治23年(1890)、親善目的で来日していたトルコ軍艦エルトゥールル号が、帰路、和歌山県串本沖で台風に遭い沈没。乗組員500人以上が亡くなります。しかし串本の人々は命がけで救出にあたり、69人を救いました。それから95年。イラン・イラク戦争最中の昭和60年(1985)3月。イラクのフセイン大統領は48時間後にイラン領空の航空機を無差別攻撃すると宣言、テヘランの外国人は緊急脱出しますが、日本政府は救援機を出せず、幼児を含む日本人200数十人が取り残されました。死の危険を前に絶望が襲ったその時、トルコが立ち上がります。日本とトルコの奇跡の絆を、ぜひ心に留めて下さい。第二特集は川中島合戦の謎です。

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