新聞記者と囲碁棋士の二刀流という異色の経歴をもつ一力遼(いちりき りょう)五冠。どのような経緯で、そのようなキャリアを歩むこととなったのか。進学前後の周囲の反応や、記者としての働きを語ってもらった。
※本稿は、田中章著『二刀流の棋士 一力遼』(日本棋院)より一部抜粋・編集したものです。
棋士として異例の大学進学・就職
2016年春、早稲田大社会科学部に入学した。大学進学はプロ入りした時、親との約束だった。井山裕太九段をはじめ多くの棋士は囲碁に専念するため義務教育で終えている。中国や韓国のトップ棋士たちも同じだ。
囲碁界では、一力が高校進学した時でさえ「進学しないで囲碁一本に絞れば、もっと強くなっている」という声は多かった。棋士になってから高校に進学し、七大タイトルを獲得したのは小林覚九段、羽根直樹九段ぐらいしかいないという現実があった。
一力が高校に進学する少し前、囲碁教室でプロを目指す子どもを教えているある指導者は「高校に進学したい」と言ってきた子どもに「進学するのであれば、責任を持てないので教室をやめてほしい」と申し渡した事があった。その子は進学を断念して碁の勉強に打ち込み、プロ棋士になった。その後、タイトル戦に挑戦するレベルまで強くなり、その子の場合、選択は正しかったということになるかもしれない。
一力の場合、事情が違った。高校、大学進学はいわば至上命令みたいなものだ。
2014年9月、都立白鴎高校2年の時、新人王戦で優勝した。新人王戦は若手の登竜門、優勝は棋士としての将来が約束されたともいえる。トッププロへの道が見えているのなら、なにも大学に進学する必要はない、と親も本人も考え直すのではないか。どうも師匠の宋は密かにそう期待したようだ。
だが、一力家の大学進学の方針は変わらない。新人王戦優勝祝賀会の時、宋は「これで(新人王戦優勝で)進学の話はなくなるのではと思ったが、駄目でしたね」とつぶやいていた。一力が囲碁に専念すればさらに早く強くなれるという確信が宋にはあった。
社会科学部は政治、経済やメディア論など幅広い領域を対象にしている。一力は数学好きで「統計解析など数字の絡む講義があったことがこの学部を選んだ一因です」と言い「年上の人と接することが多い囲碁界と違い、大学では同世代と付き合える。生活も規則正しく、碁にプラスになる」と新聞社の取材に答えていた。
棋院の対局日となっている月曜と木曜は対局を優先し、授業は週11コマというペースで大学に通う日々。当初は「規則正しい生活」だったが、タイトル戦出場が多くなると授業や試験と重なり、日程調整に苦労したようだ。語学は予習が必要だし、他の授業もノートを取るだけでは不十分、関係する論文や本を読まなければならない。二兎を追う心配はあった。
2020年3月、入学から4年で早稲田大を卒業し、河北新報社に記者として入社した。「囲碁を主にして、大学の授業はゆっくりそれなりにやって8年かけて卒業するぐらいでいいのでは」というアドバイスもあったが、4年できっちり単位を取っている。何事にも手を抜かない性格なのだ。かつては授業に全く出席せずに卒業する有名スポーツ選手が多数いた。時代は変わっている。
入社した河北新報社では東京支社編集部所属となった。通常、新人記者は支社や支局に配属され、警察や市役所を担当して取材と記事の書き方のイロハを覚えることから始める。
しかし、対局日程がぎっしり詰まっている一力にはその余裕はなく、囲碁の話題を集めたコラム「一碁一会」を書くことになった。棋士と記者の二刀流生活の始まりである。このコラムは共同通信社を通じて各地の新聞社に配信され、掲載されている。24回目の記事を紹介する。
コラム「一力遼の一碁一会」
「超越する四つの壁」 囲碁が持つ魅力
今回は、囲碁が持つ魅力を「超越する四つの壁」という着眼点で紹介します。
まずは「年齢」です。国内には500人近い棋士がいます。その中で最年長は94歳の杉内寿子八段、最年少は12歳の仲邑菫二段です。さまざまなプロの競技のうち、82歳もの年齢差があるのは囲碁だけでしょう。
杉内八段の夫の故杉内雅男九段は97歳で逝去するまで生涯現役を貫き、80年もの長い間、棋士として活躍されました。95歳の時には15歳の若手と対局し、「80歳差対決」と注目を集めました。90代になっても常に最新型を取り入れ、囲碁の真理を追究される姿勢は棋士のかがみでした。
次に「性別」です。他の競技でも男女でペアを組み試合を行うことはありますが、囲碁界のように同じ土俵で戦うのは極めて珍しいと言えます。従来は男女で差がありました。年々、女性トップのレベルは上がっており、最近では男性の一流棋士に勝つこともよくあります。トップ棋士の証明であるタイトル戦のリーグ入りも近い将来、実現する可能性が高いでしょう。
三つ目は「国境」です。日本、中国、韓国、台湾といった盛んな地域に限らず、全世界に愛好家がいます。黒と白の石を交互に置くという非常にシンプルなルールの囲碁は、石が共通言語の役割を果たしているのです。国内で活躍する海外出身の棋士は数多くいます。東アジアのほか、米国やフィンランド、東南アジアから日本に来てプロになった例があり、国際化が進んでいる証しと言えるでしょう。
最後は「視覚」の壁です。中学1年の岩崎晴都さんが今年4月、弱視として初めてプロ候補生の院生になりました。碁盤の線が立体になっていて、石を盤に固定できる「アイゴ」という用具があります。目が不自由な人のために作られ、岩崎さんはこれを用いて他の院生と対局しています。アイゴはアマの大会でも使用されており、視覚にハンディがあっても楽しむことができるのです。(2021年9月22日)
このほかコラムは「プロは何手先まで読むか」「棋士築いた価値観一変 囲碁とAI」「囲碁由来の言葉」など囲碁に関する話題を分かりやすく書いている。
連載は2021年9月で一旦終了し、その後は、読者が打った碁に関して「どう打てばよかったか」と質問を受け、それに図入り回答するコーナーを担当。2022年4月からは「一碁一会」を再開している。





