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生き方

禅が教える人生の答え ―目標はぼんやりと

枡野俊明(建功寺住職/庭園デザイナー)

2013年03月14日 公開 2023年05月08日 更新

人生の目標なんて、ぼんやりしているほうがいい

生きる上で、目標をもつことはとても大切なことです。目標や夢に向かって努力することで、私たちは自分を磨くことができる。もしもまったく夢や目標がないとしたら、それはとてもつまらない人生になってしまうでしょう。

ただし、目標というものに縛られてはいけません。日本人は生真面目なところがありますから、つい目標というものに縛られがちです。一度立てた目標は、何が何でも達成しなければならない。達成できないことは悪であると。特に会社などではそう考えてしまいます。

ですから、個々人の目標もとにかく具体的になっていく。40歳には課長になる。50歳には部長になっていなければいけない。売上は10年で倍にしなければならない。もちろんそこに向かって努力することは大事ですが、あまりに具体的な目標に執着しすぎると、それが叶わなかった時に心が折れてしまいます。

40歳になったのに、目標の課長になれなかった。ああ、もう私の会社人生は終わりだと。勝手に自分で終わらせてどうするのですか。そのくらいで人生が終わるものではありません。自分の将来像を描いて、そこに向かって進むことはいい。しかし、その将来像が人生のすべてではないことを知ってください。

目標ばかりに縛られることで、かえって生活そのものが窮屈になってしまいます。

たとえば今は健康ブームで、ウォーキングなどを日課にしている人も多いでしょう。「毎日10キロは必ず歩く」。そんな目標を立てて、雨が降ろうが槍が降ろうがウォーキングに出かける。

多少の熟があっても、とにかく歩かなくてはと必死になって出かける。挙句のはてに風邪をこじらせて寝込んでしまう。それこそ本末転倒ではないでしょうか。

あるお婆さんが、健康診断で医師からいわれました。「少し甘いものを控えてください」と。そのお婆さんはお饅頭が大好物です。しかし医師からいわれたので、その日以来お饅頭を食べないという目標を立てたのです。

初めのうちは身体のためと思って我慢できましたが、そのうちに食べたくてどうしようもなくなった。それでも我慢を続けるうちに、ストレスからかえって身体を壊してしまったのです。

ウォーキングにしてもお饅頭を控えるにしても、目的は健康のためです。歩くことが最大の目的ではなくて、歩くことによって健康を維持することが本来の目的でしょう。目標を立てることはいいことですが、そこに執着しては何もならないのです。

もう少し、気分を楽にして人生を歩いていくことです。目標などというものは、なんとなくぼんやりとしたものでいい。50歳くらいにはこうしていたい。60歳くらいまでにこれができればいいな。そんなゆるやかな目標をもつことで、人生は生きやすくなるのではないでしょうか。

60歳までには家のローンを完済する。65歳までは何らかの仕事をする。70歳になるまでに海外旅行を3回する。そして85歳まで元気で生きる。そんな目標を立てるのはかまいませんが、はたしてその通りに人生は運んでいくでしょうか。もしも予定通りに進んだとしたら、それはまたつまらないことだと私には思えます。

はっきりとした明確な目標。それは一瞬、眩しいような光を放ちます。その目標を達成した時には、輝かしい人生であるかのように感じます。しかしその輝きは、すぐに消えていくものです。輝きが消えたという不安感が、また眩しい光を求めさせる。そして、再び輝きを取り戻せるかどうかは分からない。

ぼんやりとした目標は、一瞬の輝きを放つことはありません。しかし、そのぼんやりとした光は、ずっと消えることなく自分の足下を照らしてくれる。ゆっくりと歩くには、ちょうどいい明るさです。歳を重ねれば重ねるほど、夢や目標はぼんやりしているほうがいい。私はそう思います。 

絶対にこうするんだ。絶対にこうなるんだ。そんなふうに思いつめないことです。
「できればこうする」くらいの塩梅で生きましょう。

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