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生き方

不安があっても生きていける “社交不安症”の男性が交流会で手にした小さな自信

広岡清伸(精神科医)

2026年05月06日 公開

不安があっても生きていける “社交不安症”の男性が交流会で手にした小さな自信

大学時代のアルバイトで「社交不安症」となり、人の視線が怖くなった多田晋平(仮名)さん。精神科専門医の広岡清伸さんが勧めたグループセッションへ参加したところ、ある気づきを得て少しずつ自信を持つようになったそうです。

本稿では、多田さんが社会の中で生きる方法を見つけたプロセスや、広岡さんが社会不安症で悩む人に伝えたいことを紹介します。

※本稿は、広岡清伸著『ごめんなさい、もうこれ以上頑張れません』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

※本記事は特定の治療法を推奨するものではありません。実際の治療・服薬に関するご判断は、必ず主治医または専門医にご相談ください。

 

失敗してもいい。みんな同じだから

多田さんがアルバイトを再開してから2カ月後、わたしが提案したのは、同じ悩みを抱える人たちの集まりに参加することでした。ひとりで移動できるようになった多田さんが、本格的に社会の中で生活していくには、これまで避けていた集団の中でコミュニケーションをとれるようになることです。

要するに、脅威となっていた他人の視線をいかに克服できるか。バイトを通じて、最低限のことはできるようになりましたが、さらに多くの人数と一緒に過ごすことに慣れてほしかったのです。多田さんにとって最終課題といってもいいものでした。

広岡「アルバイトには慣れてきましたか?」

多田「倉庫の仕事は問題なくできるようになってきたと思います」

広岡「そろそろ、多くの人と接することにも慣れるようにしていきましょう。社交不安症の方を対象にした少人数のグループセッションに参加してみませんか。参加者は5〜6人くらいです。みんな似たような不安を抱えている人ばかりで、定期的に集まっているんですよ」

多田「......いろいろな人と話すということですよね」

広岡「そうですね。本格的に社会の中で生活していくには必要なことですからね」

多田「怖くないですか?」

広岡「不安があっても行動する。多田さんがこれまでできてきたことですよね。だったら、できます。それに、多田さんと同じような悩みを抱えている人たちですから」

多田「少し安心しました。けど、怖いですね」

セッション初日。部屋の前で立ち尽くしている多田さんを見たわたしは、心配になって声をかけました。

広岡「多田さん、どうされましたか?」

多田「あっ、先生。ドアの向こうから聞こえてくる声が、自分に向けられた嘲笑のように感じられてきて......中に入れなくなりました」

広岡「昔のことを思い出してしまいましたね。でも、じっと聞いてみてください。聞こえてくる笑い声は、多田さんに向けられたものではありませんよ。そもそも、多田さんは、ここにいるじゃないですか」

多田「そうですよね」

広岡「ほら、ドアを開けて。みんな多田さんのことを待っていますから」

意を決してドアを開けた多田さんを待っていたのは、多田さんを歓迎する拍手でした。後でスタッフから聞いた話だと、初日の多田さんは緊張気味で、言葉少なだったといいます。

セッションのテーマは毎回少しずつ違いますが、目的は共通しています。「不安の中でも話してみる」「人の前で失敗しても大丈夫だと体験する」ことです。

初日、かなり緊張していた多田さんは、「入口の前で、もう帰ろうかと思いました」と笑いながら振り返っていました。それでも、部屋を見回すと、同じように表情の固い人たちが座っていたそうです。その光景を見た瞬間、「自分だけじゃないんだ」と感じ、少し肩の力が抜けたといいます。

自己紹介と近況報告を済ませると、司会を務める心理士が、「無理に話さなくても大丈夫です」と伝えてくれました。多田さんは、順番が近づくにつれて手のひらが汗で濡れ、心臓の音が耳の奥で響いたと話していました。しかし、いざ自分の番になると、「倉庫で働いています。まだ緊張しますが、少しずつ慣れてきました」と短く言葉を出せました。

「その瞬間、周りがうなずいてくれたんです。それが意外で、うれしかった」と、多田さんは話していました。誰も笑わず、誰も否定せず、ただ静かに聞いてくれていた。それだけのことが、多田さんの中では大きな出来事だったそうです。

 

安心できる場所での成功体験が、社会に戻るための大きな力になる

2回目のセッションは、「最近、不安を感じた場面」をテーマに話し合いました。ある参加者が、「バスの中で人の視線が気になって途中で降りてしまった」と語ると、他の人たちも共感するようにうなずいていました。多田さんは、「同じようなことが自分にもある」と思いながら、その話を聞いていたといいます。

そのセッションの中で、司会の心理士からこういう提案がありました。

「次回は、"不安を感じる場面でどう行動するか"を少しだけ練習してみましょう」

いわゆるロールプレイ(場面練習)です。多田さんは一瞬ためらいましたが、「やってみよう」と思えたそうです。その理由をこう語っています。

「ここでは失敗してもいい、と思えたんです。みんな同じだから」

3回目のセッションの日。多田さんは、「職場で主任に声をかけられた場面」を再現することにしました。「少し人前で話す練習にもなる」と考えたからです。

彼は立ち上がり、少し視線を下げたまま、「あの、次の箱はどこに運びますか」とつぶやくように言いました。その声はかすかに震えていましたが、心理士が「はい、いまのすごく自然ですよ」と穏やかに答えると、周囲からも拍手が起こりました。

多田さんは顔を赤らめながらも、「本当に、あれでよかったんですか」と笑いました。その話を後から聞いたわたしは、多田さんに「完璧じゃなくていいんです。"震えながらもできた"という経験が最も大切なんですよ」と伝えました。

後日の外来で、わたしと多田さんは、こんな話をしました。

多田「グループセッションに行く前は、正直、怖かったです。初対面の人ばかりで、また注目されるんじゃないかと思ったらドキドキしてきて」

広岡「行ってみて、どうでしたか?」

多田「みんな同じように緊張していて、少し安心しました。話している途中で手が震えていた人もいましたけど、誰も笑わない。自分も少し話せたんです」

広岡「それは大きいですね。安心できる場所での成功体験は、社会に戻るための橋渡しになります」

多田「はい。倉庫の仕事よりも、人との距離が近くて、最初は苦しかったけど......だんだん、そこに慣れていく感じがしました」

広岡「不安を完全になくすことより、不安を感じたまま人と関われること。そこが次のステップです」

 

人と関わることは恐怖だけではない

わたしは、このグループセッションを、「現実社会の縮図」だと感じています。社交不安症の方は、日常の人間関係において、「失敗=評価の低下」と捉えがちです。しかし、グループの中では、失敗しても笑われず、むしろ共感が返ってきます。この「安全な失敗体験」が、脳の中で"人との関わり=危険"ではないという新しい学習を促していくのです。

多田さんは、4回目のセッションで、他の参加者の話を聞いて涙ぐんだと話していました。

ある女性が、「わたしはいつも人と比べて、自分を責めてしまう」と語ったとき、多田さんは自分の心にも同じ痛みを感じたそうです。「自分だけじゃなかったんだと思いました」と静かに言いました。その気づきが、多田さんにとって大きな転機になりました。

セッションの終盤では、参加者全員が「これから挑戦したいこと」を一言ずつ話す時間がありました。多田さんは少し迷いながら、次のように口にしたといいます。

「もう一度、接客の仕事をやってみたい気がします。いますぐじゃなくても、いつか」

その言葉に、他の参加者たちが拍手を送りました。「その拍手が、ものすごく優しかった」と多田さんは語っていました。ひと通りのセッションが終わった後、多田さんが診察室を訪れてくれました。

広岡「セッションではみんなと話せるようになりましたか?」

多田「全員というわけではありませんが、わたしと同じ症状だった人がいて......電車に乗れなかったとか、みんなの視線が怖かったとか......」

広岡「その人だけでなく、セッションに参加している人たちは、それぞれに苦しいときがありましたからね。でも、少しずつですが、みんな回復してきています。多田さんも、もう少しですからね。不安を抱えながらも、他の人と共に時間を過ごす。これは、社会の中で生きる力を取り戻す第一歩です。グループセッションはゴールではなく、"社会生活のリハーサル"です」

多田「(静かにうなずきながら)あの場所で、もう少し話してみたいと思いました。それから先生、プログラムに参加して気づいたことがひとつあるのですが」

広岡「それは?」

多田「人と関わるって、必ずしも恐怖だけではないということです」

広岡「いいことに気づきましたね。それに気づけたら、多田さんはもう大丈夫ですよ」

 

不安とは、心が生きている証

多田さんはいまも定期的にクリニックを訪れていますが、社交不安症の症状が現れることはほとんどありません。それどころか、視線にさらされる恐怖におびえていた頃とは、まったく異なる自信に満ち溢れた顔をしています。

社交不安症や広場恐怖症の人は、他者の視線に傷つきやすく、沈黙の時間が長いものです。しかし、その沈黙は敗北ではありません。そこには、言葉にできない思いや、人間としての繊細な感受性が潜んでいます。

不安とは、心が生きている証です。それを完全に消してしまえば、わたしたちは何かを感じることも、恐れることもできなくなります。多田さんが歩んだ回復の道は、"恐れのない自分になる"ことではなく、"恐れと共に生きられる自分になる"ことでした。

あるとき多田さんは、わたしに言いました。

「電車の中でも、もう大丈夫です。不安はありますが、世界が少し優しく見えます」

恐怖を抱えながらも社会の中に戻るその姿は、人間が不条理の中でなお生きようとする証です。沈黙の奥にあるのは、平常という名の静かな光です。そして、わたしたちは、その光を見失わない限り、何度でも人の中へ歩み出すことができると、わたしは信じています。

プロフィール

広岡清伸(ひろおか・きよのぶ)

精神科医

精神科専門医、指導医、精神保健指定医。広岡クリニック理事長。富山県高岡市出身、早稲田大学中退、日本大学医学部卒業。東京大学医学部付属病院研修医、堀ノ内病院、関東労災病院などを経て1992年に横浜市港北区に広岡クリニックを開設。患者の目線に立って治療する独自の「肯定的体験療法」が評判を呼ぶ。今まで診察してきた患者は1万人を超える。著書に『日本の臨床現場で専門医が創る図解精神療法』(鳥影社)、『広岡式こころの病の治し方』(日経BP社)などがある。

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