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数学者はロマンチスト?藤原正彦が中原中也の詩に見た「未練がましさ」

藤原正彦(数学者)

2026年06月29日 公開

数学者はロマンチスト?藤原正彦が中原中也の詩に見た「未練がましさ」

ゆかりの場所に足を運ぶほど中原中也が好きだった、と語る数学者の藤原正彦氏。拾ったボタンを捨てられない心情が描かれる『月夜の浜辺』に共感し、藤原氏にとっての"ボタン"は何であったかと述懐します。「数学者というのは本来、未練がましいもの」と語るその真意は――?

※本稿は、藤原正彦著『静かな夜はあの歌と 一曲一曲に刻まれた、六十二篇の回想録』(PHP文庫)から一部抜粋・編集したものです。

 

ガラクタとともに夢が

学生の頃から中原中也が好きだった。彼が生まれ育った山口県の湯田温泉、亡くなる前に暮らしていた鎌倉の寿福寺内の住まい、荼毘に付された逗子の火葬場の誠行社など、ゆかりの場所に足を運んだこともある。

中也は明治40年の生まれで、私の父と5歳しか違わない。それなのに昔の人のように感じてしまうのは、中也が早世しているためであろう。中也は幼い頃から神童と言われていた。8歳の時、3つ下の弟が死んだのをきっかけに詩を作り始めたといわれる。

26歳で結婚して、翌年に男の子が生まれ文也と名づけて可愛がったが、文也は2歳の誕生日を過ぎてまもなく小児結核で他界した。結核は当時、死亡率の高い病だった。文也の死の翌年、昭和12年(1937)には中也自身が結核性脳膜炎にかかり30歳で逝去した。

『月夜の浜辺』は、中也の死から半年後に刊行された詩集『在りし日の歌』に収められた詩である。そのため、この詩は中也が亡くなった文也を偲んで書いたものと解釈する人々もいるが、私は文也が死ぬ以前に書かれた詩と確信している。

この詩は、月夜の晩にふと拾ったボタンへのしみじみとした愛しさを歌ったものである。そんな繊細でロマンティックな感情は、子供を失うという怒濤のような悲しみの中では生まれ得ない。月夜の晩に浜辺でふと拾った、何の役にも立たないボタンへの愛しさ、何の理由もない愛しさ、それを歌っているからこそ、この詩は素晴らしい。

【月夜の浜辺】(中原中也)
月夜の晩に、ボタンが1つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだがそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、ボタンが1つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて役立てようと
僕は思つたわけでもないが
月に向つてそれは抛(ほう)れず
浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、
捨てられようか?

ふと拾ったものを捨てられなくなる。そういう気持ちは誰にでもある。特に男の子の場合はそうで、ポケットにいろいろなものを入れている。子供の頃の私のポケットにも、道端で拾った錆びた釘やビー玉、きれいな石ころなどが入っていたりした。私がアメリカの大学で教えていた1970年代、"女の子のスカートにもポケットをつけろ"という運動があった。男性に比べ社会で活躍する女性が少ない原因のひとつは、女の子のスカートにポケットがないからだというのである。男の子のポケットの中には、いろいろなガラクタとともに夢が入っていて夢を育んでいる。そのポケットが女の子のスカートにないのは男女差別というのである。ガールフレンドの大学院生イレーヌもそんなことを言っていた。

 

インスピレーションで数学の論文は書けない

この詩で印象的なのは〈指先に沁み、心に沁みた〉という一節である。〈心に沁みた〉というのは常套句だが、〈指先に沁み〉というのは非凡な表現である。小さなボタンが指先に沁みたと表現することで、ボタンに対するしみじみとした愛しさが胸に迫ってくる。

「アイラブユー」という言葉でも、大声でなく小さな声でささやかなければ伝わらない。中也は天才だから、計算したわけでもなく、そうした表現が自然に出てきたのだろう。18世紀のフランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーは「生きるとは感ずること」という意味のことを言ったらしいが、詩人はまさに感じることで生きている。

私にとっての"ボタン"は何だったかと、改めて振り返ってみると、それは数学の美しい定理であったり、胸に迫った歌や詩であったり、会っただけでしびれた女性や、会っていないのに勝手にしびれた女性だったりした。この『月夜の浜辺』という詩だって、読んだ瞬間に私の拾った"ボタン"となった。小さな"ボタン"であるが、広大な宇宙の中のその時その場で私が奇跡的にめぐりあった、愛しい存在なのだ。

ふと拾ったけれど捨てられなくなるというのは、その出逢いに運命を感じてしまうからだろう。ボタンに出逢ったのは運命であり、『月夜の浜辺』を偶然に読んだのも運命、あの女性と出逢ったのも運命だった。そんな風に思うと、いよいよ捨てられなくなる。私にはそんな中原中也的な性向が多分にあるから、女房はしばしば、昔の思い出にいつまでもこだわる私を「未練がましい」と決めつける。

だが、数学者というのは本来、未練がましいものなのだ。アイルランドの大数学者ウィリアム・ハミルトンは、19歳の時に18歳の女性キャサリンに恋をした。男子学生との恋に陥った娘を心配したキャサリンの父親が、彼女を資産家の牧師と結婚させてしまい、若い2人の恋は悲恋に終わった。ところがこの26年後、40代半ばのハミルトンは彼女と初めて会った家を訪ねた。すでに廃屋となったその家に入ると、キャサリンの立っていた場所にちょうど天窓から月の光があたっていた。ハミルトンは思わずそこにひざまずいて床に口づけをした。

この未練がましさや情緒がないと、数学はできない。数学の論文を書くということは、世界中の天才、秀才が気づかなかった真理を発見したり、解けなかった難問を解いたりするわけで、瞬間的なインスピレーションだけではなかなか成し得ない。1年、2年、3年と、日夜頑張って考え続ける必要がある。5年、10年かけても解けず、20年ずっと考え続けるということも稀である。1つの大問題を続け、ほとんど何の仕事もできず一生を終えた数学者もいる。

数学者にとって、26年前の悲恋に執着するハミルトンの気持ちはよく分かるし、キャサリンの足下にあった床に接吻する気持ちもよく分かる。浜辺で拾ったボタンを捨てられない詩人の思いも自らのものなのだ。だから「未練がましい」と中傷されても、「当たり前だよ」と心の中でつぶやいている。

プロフィール

藤原正彦(ふじわら・まさひこ)

数学者

お茶の水女子大学名誉教授・数学者。1943(昭和18)年、旧満州・新京生まれ。東京大学理学部数学科大学院修士課程修了。理学博士(東京大学)。78年、数学者の視点から眺めた清新な留学記『若き数学者のアメリカ』(新潮社)で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞、ユーモアと知性に根ざした独自の随筆スタイルを確立する。2025年、菊池寛賞を受賞。新田次郎と藤原ていの次男。著書にベストセラー『国家の品格』『国家と教養』(以上、新潮新書)、『スマホより読書』(PHP文庫)など。

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