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心理学者が問いかける「なぜ私たちは傷ついても〈言葉〉を使い続けるのか」

キム・ユンナ(著), 簗田順子(翻訳)

2026年07月03日 公開

心理学者が問いかける「なぜ私たちは傷ついても〈言葉〉を使い続けるのか」

「どうしてあんな言い方しかできないんだろう」「話したことについて、あとから思い出して後悔してしまう......」「人から言われた言葉をいつまでも引きずってしまう」――言葉のせいで傷つき、怒り、それでも明日また誰かと話さなければならない。そんな経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。

それでも私たちが言葉をあきらめないのは、人間関係の中に安定と承認、癒やしと勇気を求める本能があるからだと、韓国で支持を集めるコーチング心理学者キム・ユンナは言います。しかし最近、言葉を「主導権」として使う人が増え、その誘惑に気づかないまま大切な人を遠ざけてしまっているケースも少なくありません。

本記事では、人と人をつなぐ言葉と、人を遠ざける言葉の決定的な違いについて考えます。

※本稿は、キム・ユンナ(著),簗田順子(翻訳)『余裕があるほど心が満たされることばの器』(ディスヴァー・トゥエンティワン)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

なぜ傷つけられても会話をやめないのか

「どうしてああいう言い方しかできないんですかね!」
「あの人とは話が通じない!」
「話してから後悔することが多くて......どうしましょう?」
「どうすればみんなと仲よくできますか?」
「傷つかないためにはどうすればいい?」

私は仕事柄、言葉のせいで苦しんでいる多くの人に出会います。誰かのことを怒っている人もいるし、寂しさを訴える人もいるし、堂々巡りで変わらない自分が恨めしいという人もいます。いっそ一人のほうが気楽だと苦しい胸の内をぶちまける人もいて、背負っている「言葉」の重さと傷は人の数だけあるのだなあと実感します。

ところで、なぜ私たちは何度傷つけられても、会話しようとするのでしょうか?

なぜあきらめようとしないのでしょうか?

それは、人間関係の中で安定と所属を感じ、承認と愛を確認し、癒やしと勇気で心を満たしたいからです。それが人間の本能なのです。

 

人と人をつなげる言葉とは

でも、最近は話すことを「主導権」だと考える人が多くなりました。言葉を権力だと思ってしまったら、言葉で人を統制したい誘惑に駆られます。教えて、変えて、調整して、望む方向に引っ張りたいという欲望にまみれてしまったら、人は離れてしまいます。

後輩の痛みを癒やすためではなくしっかりさせるために、子どもの事情を理解するためではなく間違いを責めるために、友だちの悩みに寄り添うためではなく上から目線で教えてやるために言葉を使えば、あなたの周りには誰もいなくなり、みじめな言葉だけが残るでしょう。

人間関係は「統制の言語」では続きません。人には自分の個性を確認したいという欲求があるので、それを無理に変えようと強要すれば関係は途切れます。洗練された話術で、ある程度は本心を隠すことができるかもしれませんが、言葉で主導権を握ろうとする欲望は、ある瞬間、相手に丸見えになってしまうものです。

人と人をつなげる言葉は「統制の言葉」ではありません。

「そっか、大変だったね。お疲れさん」
「そういうこともあるんだ」
「あたしで役に立つことあるかなあ?」

こんなふうに共感し尊重しながら健全に刺激し合う言葉に、人間関係は芽生えるのです。

ちょっと考えてみましょう。
今あなたは、どんな言葉を使っていますか?
統制のための言葉ですか、わかり合うための言葉ですか?

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