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田原総一朗・バブルを知らない世代が社会を変える!

田原総一朗(ジャーナリスト)

2013年06月11日 公開 2022年10月06日 更新

「守り」に入った日本の経営者

 1980年代までは日本企業がつくる製品は、産業機械にしても、家電製品にしても、ずば抜けて品質が高かった。つくったモノはどんどん売れた。ところが90年代に入ってきて、ほかの国の企業がつくる製品の品質が向上してきた。代表的なのが韓国企業。日本企業との品質の差がほとんどなくなってきた。しかも、人件費は向こうのほうが安い。それが製品の価格差となって表れる。日本企業の競争力は徐々に落ちていった。

 さらに人件費の問題に加え、日本企業には円高と高率の法人税という悪条件が重なった。いわゆる「三重苦」である。しかし、これは不況の半分の理由にしかならない。あとの半分の理由は、経営者にある。高度経済成長が続くなかで、日本の経営者の多くが「攻めの経営」ではなく、「守りの経営」に入った。これが日本経済を苦境に陥れた。

 松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫……。私は、高度経済成長を成し遂げた日本を代表する経営者に何度も会い、話を聞いた。なぜ彼らは、企業を発展させることができたのか。

 象徴的な話を紹介しよう。日本がまだアメリカの占領下にあった時期のこと。ソニーの盛田氏が進駐軍のオフィスを訪ねたところ、大きな箱のようなモノが置いてあった。軍需用のテープレコーダーだ。これをソニーは、民需製品として開発し直す。一所懸命に軽くしてできたものが、重さ15キロの新製品。値段は12万円だった。

 忘れもしない。高校卒業後、私が最初に就職した会社である日本交通公社の初任給は5000円だった。12万円のテープレコーダーなど当時の日本で買える人はいなかった。しかし、ソニーはあきらめない。敗戦後の日本は何もない国だった。あきらめたらそこでお仕舞いだ。

 もともと盛田氏は大阪大学理学部物理学科の出身で、戦時中は海軍の技術者だった。それが途中で営業に転向する。なぜかと聞いたら、こう答えた。ソニーはそれまで日本になかったモノをつくる。となれば販売ルートの開発が必要だ。これは技術開発と同じくらい重要で、だから自分は営業になったと。

 そして盛田氏は、12万円のテープレコーダーの売り先をやっと見つけた。最高裁判所だ。これがきっかけになって、全国の裁判所が買うようになった。そのなかでソニーは製品をもっと軽く、安くした。やがて日本の小中学校が教材として使うようになった。その後、ソニー製のテープレコーダーはさらに軽く、安くなり、一般に普及していく。ゼロから市場をつくり出すことに成功したのである。

 高度経済成長が続くなかで、日本企業の経営者はこうした「攻めの経営」をしていた。しかし、ある時期から「守りの経営」になってしまった。

 1977年、それまで平の取締役だった山下俊彦氏が松下電器(現・パナソニック)の社長になったときである。私は山下氏に頼まれて、社員研修の一環として若い社員たちの前で何度か講師として話をする機会があった。山下さんがいうには、残念ながら松下電器は“マネシタ電器”といわれている、なんとかオリジナリティのあるモノをつくりたい、ということだった。

 そこで私は、同社の若い社員に「なぜオリジナリティのある製品が生まれないのか」と聞いてみた。すると、新しいモノを開発しようとすると、上司にまずこういわれる。前例があるのか。次にこういわれる。儲かるのか。前例があって、儲かることがわかっていれば、どこでも同じモノをつくろうとするだろう。これでは独自の製品が生まれるわけがない。多かれ、少なかれ、日本企業は似たような状況に陥っていた。

 「日本型経営」そのものが苦境の原因

 なぜ日本企業は「守りの経営」に陥ってしまったのか。それは企業の体質に問題がある。「日本的経営」と呼ばれる経営体質そのものが、日本経済の苦境の原因なのだ。日本的経営とは何か。特徴を3つあげよう。

 まず、新卒一括採用。企業はまだ若い「色のついていない人間」を採用し、会社の色に染め上げようとする。これ自体は必ずしも悪くない。

 次に家族的経営。これが問題である。会社のなかでは家族のように話を通じやすくするため、ものわかりのよい社員ばかりをつくろうとする。異分子は徹底排除。上に盾突くような人間は、真っ先に梯子を外される。アップルをつくったスティーブ・ジョブズやマイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツのような異能な人材が、社内で活躍できる余地はほとんどない。全員が優等生。没個性的で、均質的な集団となる。これでは新しい製品が生まれるはずもない。

 さらに、多くの日本企業は平等、年功序列主義という特徴をもつ。実績や成果によって報酬や昇進にそれほど差をつけない人事を長年にわたって慣例としてきた。若手社員の抜擢をせず、賃金は横並び。努力してもしなくても同じとなれば、競争心が起こらない代わりに、やる気もなくなるのは当然だ。

 10年ほど前、『プロジェクトⅩ挑戦者たち』(NHK)というテレビ番組が日本で流行った。ところが海外ではまったくヒットしなかった。『プロジェクトⅩ』で紹介された技術者は何かの開発に成功しても、せいぜい課長かよくて部長になれる程度。しかし外資系の企業では、社員が新しい製品、システムを開発したり、新しいサービスで儲けたりすると、社長よりも高い給料をもらえる例がたくさんある。日本企業の場合、個人に対する見返りがあまりに少ない。

 じつはこれが韓国をはじめとする他国の企業が日本企業と同じ品質の製品をつくれるようになった要因の1つだ。待遇の悪さに不満をもつ日本企業の技術者を、高額なボーナスを条件にして設計図ごと引き抜いたのである。

 極めつけが終身雇用。目立たず、適当にサボって無難に日々を送っていても、最後まで雇用が保障される。その一方で、日本は転職が難しい社会でもあった。かくして日本企業は上役に「NO」というリスクを犯さない、個性のない人間の集まりになってしまったのである。取締役たちにしても社長にゴマを擦るばかりで「NO」という度胸がない。

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著者紹介

田原総一朗(たはら・そういちろう)

ジャーナリスト

1934年滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業。岩波映画製作所、東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経て、フリージャーナリストとして独立。『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系列)では、生放送中に出演者に激しく迫るスタイルを確立し、報道番組のスタイルを大きく変えた。活字方面での活動も旺盛で、共著も含めれば著作は100点を超える。現在もテレビ、ラジオのレギュラー、雑誌の連載を多数抱える、日本でもっとも多忙なジャーナリスト。
おもな著書に『日本の戦争』(小学館)、『塀の上を走れ』『Twitterの神々』(以上、講談社)、『原子力戦争』(ちくま文庫)、『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか』『人を惹きつける新しいリーダーの条件』(以上、PHP研究所)ほか多数。

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