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“人を活かす”ことが自分の仕事 ── 私が面談に重きを置く理由とは

南部靖之(パソナグループ代表)

2013年07月16日 公開 2024年12月16日 更新

“人を活かす”ことが自分の仕事 ── 私が面談に重きを置く理由とは

前身となる人材派遣会社「テンポラリーセンター」を創業して以降、一貫して「社会問題の解決」を経営の柱に置くのが、パソナグループ代表の南部靖之氏。

社会貢献と事業は「二律背反のもの」だった時代から40年弱、今でいうソーシャル経営を支え続けた背景には、幼少のころより父母から学んだ多様な価値観や寺での修業の日々から養われた思いやりの心があった。

社会貢献と事業を両立させた創業者としての発想と、人材派遣事業の根幹である「人」への思いを語っていただいた。
<取材・構成:齋藤麻紀子/写真撮影:永井浩>

※本稿は『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年7・8月号 Vol.12【特集・哲学ある人づくり】より一部抜粋・編集したものです

 

本来の経営のあるべき姿

今はもうソーシャルビジネスとか、ソーシャルアントレプレナーといった言葉にあるように、「ソーシャル」という感覚がボランティアだけではなく、ビジネスとして、事業を起こす場合の心がまえとして、きちんと問われるようになりました。

私が起業したころというのは、上場会社でさえそういう感覚ではありませんでした。簡単に言えば利益を出して、その3パーセントをメセナ(芸術活動の支援)に投じたり寄付をすればいいという考えでした。

あのころは「CSR」「ソーシャル」「NPO」といった言葉もありませんでしたが、私は最初から、社会の問題点を解決するということを経営理念として掲げていました。

だから売上をいくら上げるとかということではなく、雇用を生むことによって社会問題を解決するということで人材派遣会社を創業したのです。まだ関西大学の学生だった1976年、24歳のときでした。

オイルショックの影響で企業は経営縮小ぎみでしたから、派遣事業そのものは広く受け入れられました。一方で「それは経営ではない」という批判もありました。事業と社会貢献は二律背反だと思われていたのです。

でも私は、これが経営のあるべき姿だと思っていました。起業以降、その考えを変えなかったのは、父と母の教えがあったからです。私が人づくりを事業としてやってきた原点も、すべてはそこにあるといってもよいでしょう。

 

事業を通じて社会貢献を

私がパソナの前身である「テンポラリーセンター」を興したのは、父の一言からでした。

当時は、大学を卒業したら就職するのが当たり前の時代。「学生ベンチャー」という言葉も発想もなく、私もご多分にもれず、就職活動をしていました。でも内定を決められる雲行きはよくありませんでした。

ある日、父から「就職決まったか」と質問され、正直に「むずかしい」と答えました。すると父は「就職活動を通じて、何か気づいたことはないか」と尋ねるので、「ぼくよりも女子大生がたいへんだ」と答えたのです。

当時、男子大学生のほとんどは就職するのに、女子大学生の就職率は低く、大学でせっかく勉強しても、企業は彼女らを採用したがりませんでした。

さらに問題だと感じたのが、一度家庭に入った主婦たちです。子育てを終えたあと、職場復帰する人はほぼゼロパーセントでした。

父は私の報告を聞くと「面白い」と膝を打ち、「この社会問題を解決しなさい」と私に言いました。つまり、女性の雇用拡大に寄与する事業をしろ、というのです。

みなさんならどのようにされたでしょうか。私の場合、父も祖父もアントレプレナー(起業家)でしたから、起業に抵抗はありませんでした。でも、実際、突然に「社会問題を解決」と言われても、ピンと来ません。

なんとなく「ボランティアをすればよいのかな」と思いました。ボランティアをする人はいたのです。

でも父は「違う」と言いました。寄付金で活動費を賄っても、もらった範囲のことしかできない、と。「会社を興して、きちんと事業にしなさい」というのが父の教えだったのです。常日ごろ「人生での苦労はすべて勉強」だと言っていました。

卒業のときに父からもらった言葉は、「土薄き石地かな」(石ばかりの地面から根を張って芽を出すのはエネルギーが要るけれども、いったん根を張ればあとは強い。だから苦労は買ってでもせよ、の意)です。

またナポレオンの「英雄は若者から生まれる」という言葉もよく聞かされていました。だから、一介の学生である私にも、当然のように起業を勧めてきたのです。

一方、私の大学の教授の教えは真逆でした。教授は「まず一部か二部の上場会社の門を叩け」と、コマーシャルでみんなが知っているような有名企業への就職を勧めました。

次に、先輩がいる会社。「残業があるか」などをきいて、働きやすい会社を選びなさいと。苦労を買うことを勧める父とは、まったく逆だったのです。

結果、私は父の教えを選び、どこにも就職することなく起業を決意しました。それも社会問題の解決という、今どきのソーシャルな会社。でも会社で働いたことがないので、企業経営の「いろは」を知らず、何をやっていいか分かりませんでした。

 

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