松下幸之助は「利益」について確たる信念を持っていた
2013年06月27日 公開 2024年12月16日 更新
いまの日本に喫緊に必要とされるのは実体経済の力強い成長です。それは、国家全体の努力により「利益」を生み出すことが必要だということです。具体的には、より利益を生み出す成長産業に、人材や投資がスムーズにシフトしていくよう、国家がアシストしていくことなどが挙げられることでしょう。
しかしその実現という面でまだまだ疑問符がつくのが、アベノミクスだといえます。「利益」を生み出すとはどういうことか。「利益」に対して企業はどうあるべきか――。
松下幸之助は「利益」について、確たる信念をもっていました。
「利益」をどう捻出していくか。利益を生み出す民のさらなる努力とともに、利益を使う官の構造改革によるコストダウンなどが、近年強く叫ばれています。しかし現実はどうでしょうか。国家としてなすべきことはわかっている。わかってはいるが、その実現が難しい。そうしたジレンマに日本全体が陥っているというのが実際のところなのかもしれません。
松下幸之助がその経営活動において大きな利益を生み出した時代は、日本全体が成長期にありました。停滞期をなんとか脱しようとするいまの日本経済とは様相・環境が違い、たとえば急速に進んだグローバル化などは格段の差があるといえるでしょう。しかしながらどんなに時代が変わっても、いや変われば変わるほど、ますます重みを帯び、光彩を放つ真理というものがあります。松下の「利益」に対する哲学もその一つではないでしょうか。以下、松下の主な考え方を挙げます。
◆利益追求が企業の最大命題ではない。
◆事業を通じて社会に貢献するという使命を遂行し、その報酬として社会から与えられるのが「利益」である。
◆企業の利益が税金としておさめられ、社会の福祉に貢献することになる。
◆株主にも適正にして安定的な配当をもって酬いるのが企業の使命である。
◆利益を生み出せない経営は、社会に何らの貢献をしていないということであり、本来の使命を果たしていない姿である。「赤字は罪悪」といってよい。
◆仕入れた品物の値段に適正利益を加味して価格を決め、売る。そうしたあたりまえのことをあたりまえにおこなうことが商売繁盛の秘訣である。
戦後日本、とくに高度経済成長期においては、企業が暴利をむさぼるといったイメージが強くあったようで、利益を得るということ自体の正当性を示すことが必要でした。ゆえにこうした考え方を、松下も意識して訴えており、なかでも「適正利益」という言葉をよく使いました。そして当時の松下電器は、松下の哲学に照らし合わせると、10%の利益確保が必要だとの考えにいたり、それを経営目標としていました。この「適正率」は時代・環境・政治などが変われば当然変わっていくものでしょうが、「適正」という概念はどんな時代においても、企業が社会と調和していくうえで、常に認識しなければならないはずです。
もうひとつ、松下らしい「利益」に対する重要な考え方があります。『仕事の夢 暮しの夢』(1986・PHP文庫~単行本は1960刊行~)という著書で、松下は以下のように記しています。
利益を上げることに対するわれわれの考え方はこうである。われわれのやる仕事は資金が要る。その資金はわれわれが政府をつくっておったら税金で徴収できるけれども、そういうわけにはいかないから、これは得心づくでカネを出して貰わなければいけない。得心づくというのは収益という形で集めて、その集めたカネは物資をただにしていく(※1)ところの資金に注入していく。このもうけというものは私することはできない。一部は私することができる。その時分(※2)は個人経営であるから、法律上からいえば、もうけたものは全部自分のものであった。しかし、私はそういう考え方から会計を別にした。前から会計は個人と別にしていたけれども、さらにそれをはっきりして、一部は私が使うことは許されるけれども、その大部分のカネは世間からの委託金だ。法律上はおれのものであろうとも、おまえの仕事をもっとふやせという委託金である。そういうふうな考え方を持って、そうして、その主旨をみんなに述べた。だからみんな感激した。
※1 水道の水のごとく、すべての物を、安価に世に提供していくのが産業人の使命であるという松下の哲学による。
※2 ファミリービジネスとして創業した頃のこと。