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社会

立憲主義と自民党改憲案―憲法の本質を問う

伊藤真(弁護士/伊藤塾塾長)

2013年07月17日 公開 2022年12月21日 更新

憲法議論は、「ゆっくり急げ」でいい

「どんなにすばらしい憲法も、その国の国民のレベル以上にはなり得ない」という言葉があります。まったくその通りです。

日本国憲法は完璧ではないものの、世界でも類を見ない先進性に溢れたすばらしい憲法だと思います。ただ、私たち主権者がその憲法にふさわしい存在にならなければ、せっかくの現憲法も宝の持ち腐れになります。

誤解のないようにいっておきますが、憲法を信奉して、教条主義的に実践せよということをいいたいのではありません。憲法は、私たち自身を幸せにするための道具です。

ただ、道具をうまく使いこなすためには、利用者である私たちが知識を持ち、技術を磨かなければなりません。憲法でいえば、その役割や目的を理解すること。それがあってはじめて私たちはすばらしい憲法を活かすことができます。

新しい家電製品を買うと、多くの人はその製品の機能をフルに使うために取扱説明書を読むと思います。憲法を使いこなすときも、それと同じです。本書には憲法についての取扱説明書になる側面があり、みなさんに憲法を自分やみんなの幸せにつなげてもらうことを目的に書かれています。

ただし、国民が憲法を使いこなせるレベルまで理解するのには、相当な時間がかかることも知っておいたほうがいいでしょう。

アメリカ合衆国憲法は、1787年に制定されました。しかし、制定から50~60年は裁判所も憲法の内容をよく理解しておらず、先住民であるチェロキー族を差別するような法律を平気で合憲と判断していたりしました。

憲法の内容を理解した判決が出るようになったのは、南北戦争(1861~1865年)の後です。

フランスやイギリスも似たようなものです。憲法がつくられてからもそのままでは定着せず、少しずつ改正を重ねたりしながら紆余曲折を経ていまの形になっていきました。憲法を使いこなせるようになるまで時間がかかるのは、どの国であってもあたりまえなのです。

日本が近代の立憲主義憲法をつくったのは、1946年です。それからまだ70年弱しか経っていません。そういう意味ではいま日本は憲法を理解する途中の段階であり、焦らずにじっくりと憲法を学んでいけばいいでしょう。

そうはいっても改憲が政治の争点になっているいま、じっくり考えている暇はないという人がいるかもしれません。しかし、焦りは禁物。よくわからないなら、わからないままでいいと思います。

私はラテン語の「フェスティナ・レンテ(Festinalente)」というフレーズがとても気に入っています。

直訳すると、ゆっくり急げ。なかなかぴったりくる訳がないのですが、日本のことわざでいうと「急がば回れ」に近いでしょうか。焦らず慌てずに一歩ずつ着実に進みなさい、それが一番の近道になりますよという意味です。

憲法の理解も、フェスティナ・レンテでいいのです。わかったふりをしないで、1つ1つかみしめるように理解して、自分のものにしていく。

現憲法や改憲案に対して最終的にどのような評価を下すにしても、国民1人ひとりがしっかりと憲法の本質を理解したうえでの判断ならば、そうはおかしな方向に行かないはずです。

むしろ怖いのは、憲法の本質を理解しないまま、まわりの空気に流されるようにして慌てて判断してしまうことです。改憲議論が盛り上がっているいまだからこそ、私たちはいったん立ち止まって憲法とじっくり向き合う必要があります。

 

伊藤真(いとう・まこと)
弁護士、伊藤塾塾長
1958年生まれ。東京大学在学中に司法試験に合格。95年に「伊藤真の司法試験塾」(その後「伊藤塾」に改称)を開設、親身な講義と高い合格率で「カリスマ塾長」として人気を博す一方、「憲法の伝導師」として各種集会での講演活動を精力的にこなす。また、弁護士として、「一人一票」の実現のために奮闘中。主な著書に『憲法の力出集英社新書)、『伊藤真の憲法入門』(日本評論社)、『夢をかなえる勉強法』(サンマーク出版)など多数。

 

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