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原発なしでいいのか?―原発稼動停止の裏で起きていること

石川和男(税理士/社会保障経済研究所代表)

2013年08月20日 公開 2022年12月28日 更新

《PHP新書『原発の正しい「やめさせ方」』より》

 

 原発推進派・反対派の双方から多数のバッシングを受ける著者はある時、過激な推進派と過剰な反対派の間に共通点を見出した。それは、「すべての課題をテーブルに載せずして『稼働だ』『反対だ』と叫び、相手からの鋭いツッコミには返す言薬を持たない」ということ。本書は、原発にまつわるすべての課題をテーブルに載せることを目指し、様々な視点から客観的に、冷静にこの間題を考察する。将来的には脱原発する運命にある日本が選択すべき現実的な道とは――? 資源エネルギー庁にいた著者が独自の「原発安楽死論」を展開する。

 

赤サビだらけの老朽火力発電所

 

 「今火力発電が1つでも止まったら日本はアウトです」

 案内してくれた老電力マンは暗い顔で重い口を開きました。

 石油やLNG、石炭による火力発電は、なんとか原発に代わる電源になり得るものではあります。しかし、このまま原発を稼働せずに火力だけを動かし続けると、莫大な燃料費がかかり続け、日本経済は別の面から窮地に追いやられかねません。

 さらに、今ほぼすべての原発が停止しているなかでなんとか日本に必要な電力が供給されているのは、火力発電がかなり無理をしながらフル稼働しているからだということをお伝えしておかなければなりません。ここに、日本全体がブラックアウト(広域的な大停電)しかねないほど大きな落とし穴があるのです。

 今、原発なしで電力供給を維持できているのは、莫大な燃料費に加え、1度はガタがくるほど老朽化してお役御免となった火力発電所を半ば無理やり再稼働させているためです。

 私は今回、その実態をみるために、老朽火力発電所を何か所か視察しました。そして驚くべき現実を目の当たりにしました。冒頭の老電力マンのしわがれた呟きにすべてが凝縮されていたのです。

 たとえば、その1つ、中部電力の武豊火力発電所。名古屋から名鉄線で約40分、愛知県知多半島の重要港、衣浦港の一角に広がる人口4万人ほどの武豊町。武豊火力は、その町の工場地帯の一角に突如、8階建てほどの鉄塊として姿を現しました。まさに異形です。

 というのは、遠目にもいたるところに赤サビが浮き、その痛み具合がよくわかり、全身ボロボロ状態の変形長方形の巨大なポンコツロボットのような有様だったのです。加えて、まるでパッチワークのようなツギハギだらけの煙の通り道であるダクト。今にも火でも吹きそうなザマ。これでよくぞ、電気を産み出せているものだと思わされます。

 しかし、どうして、そこまでツギハギ状態になったのでしょう。理由はこうです。

 ボイラーの排気ダクトは周囲が繊維状の保温材で覆われ、その周囲が金属の外装材で覆われています。通常運転されていれば保温材は雨水が浸透してきても熱で乾燥します。ところが長年使用していないと、水分を含んだままなのでサビが浮き出てきます。そのサビから穴が空きます。こうして穴だらけのダクトとなり、それをいきなり使用する羽目になり、大至急鉄板を溶接して穴をふさいだからです。配管の腐食もいたるところで見つかり、その都度、部分的に新品に換えたといいます。

 その赤サどやパッチワークダクトでもわかるように、武豊2号機は、とうにご隠居の身、やがて寿命となりお葬式(解体)を待つばかりの運命にあったのです1972年に運転を開始し、37年働いて働いて働き抜いて4年前から運転を停止していた状態だったのです。

 

満身創痍に鞭打って

 

 そんな「ご隠居」状態だった武豊火力2号機(37.5万kW、燃料:重油、原油)の出番は、突然やってきました。

 菅首相(当時)の思いつき迷走発言、パフォーマンスです。

 東日本大震災後の2011年5月6日、菅首相が突如、中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の運転を停止する「要請」を表明しました。浜岡原発の津波対策が完了し、政府の評価・確認を得るまでの間は、浜岡原発の運転を停止するよう求める、というものです。

 「反原発で何かパフォーマンスをしたかった菅首相の目に飛び込んできた恰好のターゲットが浜岡原発だったのでしょう。中部電力が老朽火力を動かせばなんとかやれるというのを視野に入れ、法律では止められないので、『要請』という姑息な手段で浜岡ストップをメディアに訴えた。東日本大震災から約2カ月、当時はわけもわからずただ原発怖いという空気が満ちみちていただけに、菅氏のパフォーマンスにメディアは『首相よくぞいった』とばかりに大々的に報じました。その時点で、すでに中部電力にノーという選択肢は残されていなかったのです。何も瑕疵がない浜岡を可能性だけで止めようという、法治国家としてはありえないような方法なのですが」と当時を思いおこしながら怒る自民党関係者。

 かくして中部電力はこのメディアに強く後押しされた総理「要請」を受け入れざるを得なくなり、5月9日に浜岡原発4号機(113.7万kW)、5号機(138万kW)の停止、そして定期検査中であった3号機(20万kW)の運転再開を見送ることを決めたのでした。

 中部電力の全発電電力量1237億kWh(2010年度)の12.4%(同)を占めていた原発がすべてストップとなったのですから、それは一大事です。

 その浜岡原発の突然の停止で、突然の出番がやってきたのが、2年前、老朽化で引退寸前だった武豊火力2号機だったというわけです。5月10日。夏の冷房需要のピーク、7月末の稼動を目指し、いっせいに準備が始められたのです。残された時間はたった81日。しかし、その再稼働は前記したように綱渡りの連続でした。

 前記のダクトの穴程度ならいざしらず、運転制御用のコンピューターが故障した時は、メーカーからは「中部さん、こりゃ古くて修理は無理ですよ」とまで言われたのです。そこを泣きついて、やっと修理し動かしたというのです。また台風にも襲われ屋外の海水取り込み装置にゴミや海藻が大量に流入してきました。その除去作業。

 問題はこれだけではありませんでした。

 再稼働直前の2011年7月27日、ようやく試運転再開にこぎつけました。いよいよ試運転開始。しかし、まもなく悲痛な声が若手電力マンからあがったのです。

 「大変です! タービン軸の油温度が急上昇しています!」

 「なに! このままだとタービンが焼き付いてしまうぞ!」

 タービンが焼き付けば、2号機は2ヵ月以上動かなくなります。夏のピーク時に中部電力は大幅な節電要請、あるいは下手をすればブラックアウト(大停電)の危機さえ迎えたのです。所長は怒声にも似た荒い声を張り上げました。

 「誰か! なんとかできないのか!」

 その時、ひとりの老電力マンがこう声をあげたのでした。

 「私がやってみます!」

 一度、類似の経験があるというベテラン電力マンが額に汗を浮かべ、震えそうになる手を何度も片手で抑えながらゆっくりゆっくりと長年の熟練度と勘で、タービンの回転数を少しずつ落としていったのです。やがてタービンは速度を落とし静かにストップしました。

「ふう……助かった。いやあ、本当にありがとう」

 所長は震える声を抑制しながら老電力マンに探々と頭を下げました。武豊火力の一同は何度も老電力マンに感謝の言葉を述べました。しかし、なぜこういう状態になったのか原因はまだわかりません。

 所内で喧々諤々と議論が始まりました。原因がわからなければタービンをフル稼働させることはできません。当然、再び焼き付く恐れがあるからです。電力需要ピークの8月は目前です。どうしても7月中に原因を突き止めフル稼働にする必要があります。

 そんな時、原因がわかったのです。

 「長い間使わなかったせいで配管のサビが大量に、しかも一気に剥がれて冷却装置に詰まっていたのです」と、当時を思い出しながら武豊火力関係者が述懐しました。

 「そのサビが見つかった時はバンザイでしたよ。皆、夜を徹してサビを除去しました。そしてすべてのサビが除去できた時は、すでに7月30日でした。そしてラスト1日で試運転のスイッチが押され、目標出力28万キロに達しました。皆、泣きました。皆、拍手しました。皆、握手しました。そして8月、武豊火力2号機はその夏、7回動きました。電力フルピークに対応、ブラックアウトを防いだのです」

 菅元首相はじめ、こんな綱渡りの電力マンたちの血と涙と努力の賜で電力維持がされていることを、どれだけの方が御存じでしょうか。

 

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