【新連載】ほほえみの国タイから 第1回 悩む人、悩まない人
2013年09月06日 公開 2024年12月16日 更新
《『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年9・10月号Vol.13より》
「マイペンライ」と「クリアット」
現在タイには5万人ほどの日本人が在住していると言われ、私もそのうちの一人である。タイで暮らしていて頻繁に耳にする言葉のひとつに「マイペンライ」という語がある。「気にしなさんな」「大丈夫」というような意味で、むずかしいことや細かいことをぐちゃぐちゃと考えるのをやめて気楽にいこうといったニュアンスがある。
ちょうどきのうも、同じ寺で修行する老僧の口から発せられたのを聞いた。雨季に入り、蓮の花が咲きはじめた池の木橋を渡っていたときのことである。老僧とすれ違いざま合掌であいさつを交わし合った。その際、老僧は杖を欄干に立てかけようとしたのだが、あいにく杖はするりと木橋の隙間に入り、ドボンと下の池に落ちてしまったのである。橋から池まではだいぶ離れている。「あらら、どうしよう……」と私が思った瞬間である、老僧はニッコリとほほえんで、一言、「マイペンライ」。そう言って、さっさと立ち去っていってしまった。今朝見ると、寺の竹を削って新しくつくったと思われる杖をついて、何事もなかったように歩いていた。
タイ人は南国気質でおおらかだとはよく言われるところであるが、このようなマイペンライ精神、いわば「気にしないで済ます」といった姿勢が身についているからかもしれない。
一方、タイ人から見た日本人は、「礼儀正しい」「責任感がある」「勤勉である」と、おおむね高評価だが、同時に、「日本人はクリアットだ」ともよく言われる。「クリアット」は「心配しすぎ」「考え込みすぎ」といった意味あいを持つ。後先のことを考えすぎて深刻に悩みがちになるという印象を、タイ人は日本人に感じ取っているようである。
実際、統計によれば、日本人の自殺率はタイ人の自殺率の約四倍もある。タイ人が「マイペンライ」と言って済ませてしまうところを、日本人はあれやこれやと考え込んでしまって〝うつ〟になり、果ては自殺ということにもなってしまうのだろう。
最新の認知行動療法の知見によれば、「反芻思考」というものが不安障害やうつ病を発症、持続させてしまういちばんの要因とみなされるようになってきたそうである。反芻思考とは、「ちょっとした抑うつ気分に反応して悲観的な思考パターンが出てきてしまうことと、そこで出てきた思考にさらに反応して悲観的な思考が次々と引き起こされること」 (熊野宏昭著 『新世代の認知行動療法』 日本評論社) と定義されている。
少し前までは、うつ病の主因は「認知の歪み」にあり、それによって生ずる抑うつ気分が問題とされていた。しかし実際は、少々の抑うつ気分が生じてきても、そこで思考を停止させてサッと流せれば問題がないということが分かってきたのである。まさに、抑うつ気分が生じてきたときに「クリアット」になるか「マイペンライ」で済ませていけるかが、「悩む人」になるか「悩まない人」になるかの分かれ目だということになる。
私のタイの寺にも、うつ病などの心の病をなんとかしたいとやってくる日本人が最近は多い。そして一週間ほどの滞在でだいたい元気になって帰っていく。こうした著効が得られる理由として、寺で実践する「気づきの瞑想」によって思考や感情の連鎖を断ち切れるようになるということもさることながら、マイペンライ精神を身にまとい、そこかしこでニコッとほほえみかけてくれるタイ人に囲まれて過ごすということが意外と大きいのではないかと思うのである。
「心の吸収合併」をしてみては
ところで、タイではこんなシーンでもマイペンライが使われ、日本人をしばしば当惑させている。
☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。
<掲載誌紹介>
『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』
2013年9・10月号Vol.13
<読みどころ>
9・10月号の特集は「『打てば響く組織』への挑戦」。 「打てば響く」という句は、もともと太鼓や鉦(かね)をたたけばすぐに音がするように、反応のよい利発な“人”を形容する表現であったが、今では組織の評価を示す際にも一般的に使われる。風通しやコミュニケーションがよく、目標達成に向け統制された行動が取れている組織が、「打てば響く」組織と言えよう。
本特集では、(1)モチベーション研究のスペシャリスト、(2)弱小高校サッカー部をインターハイ優勝校に育て上げた公立高校の監督、(3)徹底したガラス張り経営で業績を伸ばす経営者――など、さまざまな分野で実績を上げている組織づくりのプロから、そのヒントを学ぶ。
そのほか、タイで出家した日本人僧が綴る「ほほえみの国 タイから」が連載開始!ぜひお読みいただきたい。