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直木賞作家・山本兼一 受賞作『利休にたずねよ』を語る

山本兼一(作家)

2014年02月13日 公開 2019年09月12日 更新

秀吉にだけは頭を下げたくない

 仲俣 豊臣秀吉という人物を、山本さんはどうご覧になりますか。

 山本 秀吉のいちばんの欠点は、政策構想のオリジナリティが薄いことですね。少なくとも朝鮮出兵までは、信長がやったことを全面的に継承しただけですから。でも信長だったら、あんなふうに陸軍だけで行かずに、同時に海軍も組織して、撤退時のことも考えた拠点を沿岸につくったと思うんですよ。というのも、あの時代のポルトガルはそうしているからです。

 ポルトガルはゴアでもマカオでもマラッカでも、決して内陸まで入らずに、海辺に要塞だけつくって、攻められたらいったん船で逃げて、兵力を集めてまた攻めに行くというやり方をした。朝鮮出兵のとき、たとえば釜山に大きな拠点をつくって沿岸部から攻めることもできた。必ずしも軍事的な制圧ではなく、貿易をやれば利益が得られるという商業的な観点も、信長にはあったでしょう。

 でも秀吉は、天皇制のなかにある「農業国としての日本」を朝鮮まで広げようとしたわけです。これには無理がありました。

 仲俣 『利休にたずねよ』では、そうした秀吉の政治・軍事面は描かれず、利休との関係のみに焦点が当てられていますが、北野の大茶会のエピソードは素晴らしいですね。全国から人を集め、身分を超えて自由に参加させた。この発想は利休にもなかったでしょう。

 山本 秀吉はとにかく発想のスケールが大きい人です。基本的に、人をびっくりさせることが好きなんですね(笑)。利休にはそういう面はないから、その辺は一目置いたと思います。備中高松城の水攻めとかも、あれは秀吉にしかできない戦略です。太閤検地で日本全国の農地の管理システムをつくってしまったり、京都の街づくりでも通りを付け替え、寺を動かして御土居で全部囲うということをした。そういう政治的な才能は十分にあったわけです。

 仲俣 ところで利休は、なぜ最期まで秀吉に謝らなかったんでしょう。

 山本 じつは助命工作をした跡もあるんですよ。細川忠興や古田織部といった、利休のお茶の弟子である武将による助命嘆願の動きが少しはあった。ただ利休本人は、それでももう駄目だと思ったんじゃないか。最期まで謝らなかった理由の1つに、それがあると思います。

 でも最大の理由は、利休がものすごく意地の強い人だったということです。あまりにも自負心が大きいものだから、相手が日本を平定した大権力者の秀吉であっても、謝りたくない。なかなか人はそうは思えないものだけれど、齢70まで生きたからもういい、秀吉にだけは頭を下げたくない、という思いがあったのかもしれません。
 

歴史小説の書き方も、時代ごとに進化してるんです

「職人の世界」が現代で読まれる理由

 仲俣 山本さんの小説は、武将ではなく市井の人物、職人たちに焦点を当てることが特徴です。そうした書き方をお選びになった理由は何ですか。

 山本 武将を主人公にすると、自分のなかでもうひとつ気持ちが盛り上がらないんですよ(笑)。職人とか、ものをつくる人のほうが好きなんです。武将を書くと、合戦を描かなくちゃならないわけですが、ディテールをきっちりと書きたいほうなので、人の殺し方とか傷の具合いなどを描いているうちに、しんどくなってくる。

 でもお茶なら、今回は何を食べさせようかとか、お茶花の本を見て、この季節だったらこれとこれを組み合わせて、花籠は何にしてとか、楽しいわけです。(笑)

 それに、時代小説は史料だけを読んで書いてもつまらない。やはり人に会わないとイメージが湧かないんですね。『火天の城』のときは大工さんや建築家の人に会って城の構造のことを聞いたり、木造で4階建ての天守閣を復元したお城の棟上げ式を四国まで見に行ったりしました。刀の話を書くときは、刀鍛冶のとこへ行く。そういうほうが面白いんですね。

 仲俣 そうしたディテールへの目配りが、山本さんの作品の特徴ですね。小説自体がどこか職人技を思わせます。

 山本 歴史小説の書き方も、時代ごとに進化してるんですよ。吉川英治さんの書いた秀吉、津本陽さんの書いた秀吉といった先例があるなかで、自分なりに新しい秀吉を描かなくてはならない。吉川さんはまだ講談の要素が残ってるけれど、司馬遼太郎さんになると分析的になってくる。司馬さんは昭和の人だから、サラリーマンの野心を描くのがうまいんですね。そうやって小説も進化していく。

 仲俣 イノベーションが起きている、と。

 山本 そうなんです。歴史小説家になろうとしたとき、自分は何を書けるんだろうと思って探り当てたのが、まだ誰も手を付けてない「職人の世界」でした。

 司馬さんは高度成長時代の読者のために小説を書いた。だからいまは、英雄待望論だといわれてしまう。あれから3、40年経って、いまは個人の時代だと思うんです。私は個人の生き方を問うような小説、あなたは自分の人生をどうやって満足して生きるか、という小説を書きたいんです。職人が侍になれるわけじゃないし、天下を取れるわけでもない。でも職人は職人で、すごく満ち足りて生きることができるはず。そういう生き方の充足感を、これからも書いていきたいと思っています。

著者紹介

山本兼一(やまもと・けんいち)

作家

1956年(昭和31年)、京都市生まれ。同志社大学卒業後、出版社勤務、フリーランスのライターを経て作家になる。2002年、『戦国秘録 白鷹伝』(祥伝社)で長編デビュー。2004年、『火天の城』(文藝春秋)で第11回松本清張賞を受賞。2009年、『利休にたずねよ』(PHP研究所)で第140回直木賞を受賞。その他の作品に『いっしん虎徹』(文藝春秋)『命もいらず名もいらず』(NHK出版)『おれは清麿』(祥伝社)『信長死すべ』(角川書店)、また、「とびきり屋見立て帖」(文藝春秋)「刀剣商ちょうじ屋光三郎」(講談社)のシリーズがある。

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