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仕事

スーパーホテル―IT化と人間力重視の理念経営を両立し躍進

山本梁介(スーパーホテル会長)

2014年06月27日 公開 2022年07月11日 更新

《『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』 2014年7・8月号Vol.18[特集]理念をきわめる より》

「自律型感動人間」がお客様を引き寄せる/スーパーホテル

 

「安全・清潔・ぐっすり眠れる」をモットーに、1泊朝食付き5120円からという低価格にもかかわらず質の高い宿泊サービスで人気を博するスーパーホテル。平均稼働率が90パーセント以上、リピート率にいたっては、ホテル業界では非常に高い70パーセント、平日ではなんと90パーセントを超えるという。「お客様第一主義」の方針のもと、顧客に対し、満足にとどまらず感動までも与えるべく、従業員がみずから考え、感謝の気持ちを持って行動できる「自律型感動人間」の育成を提唱している。なぜそのような人間像に思いいたったのか、どのようにしてそれを徹底させているのか、創業者の山本梁介会長が語る。

<取材・構成:椹寛子/写真撮影:清水茂>

 

 スーパーホテルは、1996年に福岡・博多に1号店をオープンしたのが始まりです。今やホテル数は100を超え、海外にも展開するようになりました。これまで「低価格」や「ITによる徹底した合理化」が注目されることの多かったホテルですが、拡大を続けることができたのは、お客様への感謝の気持ちも劣らず重視してきたからだと思っています。

 めざすは、「お客様に“満足を超えた感動”をお届けすること」。そのために、従業員の感性と人間力が必要だと考え、その双方を兼ね備えた「自律型感動人間」の育成を提唱しています。

船場で商売の心得を学ぶ

 私の生まれは、大阪の船場。山重商店という繊維商社の末子長男として育ちました。茶の間ではいつも父を中心に、商売の話が飛び交っていました。私は子どもなりに、商売の心得帖を潜在意識の中に刷り込んでいったのだと思います。

 父の話で印象的だったのが、「関西人はケチだと言われるが、けっしてケチではない」ということ。「ドブに捨てるようなお金は一銭でも惜しむけれど、これが〝生き金〟だとあらば、身銭を切ってでも出すんや!」とよく言っていました。こうした父の考えは、今の私の経営にも息づいています。

 大学卒業後は、大阪の繊維商社の老舗、蝶理に入社。女性下着の営業を担当しました。売上はよかったのですが、私としては物足りない。「商社はもっと、企画力・クリエーティブ力で勝負しなあかん」という思いがあったからです。

 欧米の雑誌を見ると、すでに下着を楽しむ時代が来ていました。「日本でも下着をオシャレに楽しむ時代が来る」。そう確信した私は、「花柄コーディネート下着」の企画を上司に諮ってみたのです。当時の商社は、「リスクをとらずに口銭を稼げ」という考えが主流でしたが、上司が理解のある人で、「やってみろ」と言ってくれました。まだ美しい花柄を染める工場もない時代に、探し回って見つけた手捺染(てなっせん)のスカーフ店に飛び込み、交渉。オシャレな下着を開発しました。

 ただ、高すぎて売れない。まだ時代が追いついていなかったのです。でも、注目してくれたところが一つだけありました。ワコールの意匠室です。以後、ワコールで縫製・製造をするようになったところ、これが大ヒット。「蝶理の下着は先端的」というイメージが定着し、得意先が一気に増えました。

 ところが、蝶理での仕事が面白くなってきた矢先、父が体調を崩し、家業を継ぐことになったのです。

シングルマンション経営に転身

 そのとき弱冠25歳。今から思うと、頭でっかちの青年社長でした。まずしたことは、経営書を100冊以上読むこと。それから計数管理、つまり数字による管理を徹底しました。そこには、人間味も情けもなかった。番頭さんたちから言われました。「社長の言うてはること分かるけど、現実はそんなふうにはいきませんで」。

 結局、のれんは番頭格の取締役に譲り、組織も譲渡することになりました。

 父は生前、石橋をたたいて渡るような経営をしていたので、会社を清算しても、資産として不動産が残っていました。そこで、30歳にもならぬうちに不動産賃貸を始めたのです。ビルはすぐに借り手で埋まりました。ただ、事業を拡大するには、賃貸業だけでは限界がある。「もっと独自性のあることがしたい。何をすればいいだろう」と考えるようになりました。

 当時の私は時代の先を読むため、欧米の雑誌や新聞に注目していました。あるときふと目にした英字新聞に、こんな記事を見つけたのです。「アメリカでは、ファミリー層が50パーセントを割り、シングルが増加している」。それによると、女性の社会進出が進んだことで結婚年齢が上がる一方、離婚も増加している。こうして増大するシングルの人たちは、職業と文化的刺激を求めて都市部に集まる傾向がある。その結果、ロサンゼルスなどの都市部では、シングル向けのマンションが増えている――。

「いずれ日本もこうなる」と直感した私は、1970年代に、関西ではまだ見られなかったシングルマンションを大阪に建てました。“マンション”といっても、木造2階建て。クリスマスケーキの上に乗っているお菓子のような、派手でファッショナブルな建物でした。そのころのシングル向けといえば、アパートぐらいしかない時代。すぐに話題になり、お金持ちの学生や独身女性などが入居して、あっという間に満室になりました。

 その後、関西を中心に、シングルマンションの事業を拡大し、1980年代には東京や博多にも進出しました。しかし、関西圏の外に進出するほど、いろいろとコストがかさむことに気づきます。支店を設ければ月に何百万円もかかるし、支店が増えるほどに管理が徹底できない。シングルマンションで全国展開というのは、あまり現実的ではなかったのです。

ホテルにマンションのノウハウ

 とはいえ、バブル経済全盛の時代に入っていました。何をやってもうまくいく。ビジネスホテルの経営も始めました。最初は、水俣や倉敷、宇部などの工業地帯。アメリカに研修旅行に行った際、工業地帯にホテルがあることに気づいたからです。不思議に思って調べてみると、工業地帯には出張や営業の人がたくさん来るので、ホテルに対する需要があることが分かりました。

☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。

 

<掲載誌紹介>

2014年7.8月号Vol.18

 7・8月号の特集は「理念をきわめる」

 経営理念なくしては、真に力強い事業活動の推進はむずかしい。では、理念があればそれが可能かといえば、必ずしもそうともいえない。高尚な理念がただの「絵に描いた餅」になっている例はたくさんあろう。理念に命を吹き込み、社員のモチベーションの向上と事業の発展に結びつけるためには、理念が社員に深く理解され、体にしみこむまでに「きわめる」ことが必要ではないか。  こうした問題意識に立った本特集では、会社として、また社員一人ひとりが企業理念を「我がもの」とするための考え方と方法を探った。  そのほか、世界的経営学者である野中郁次郎氏の松下幸之助論や、京都に拠点を置く計測機器の世界的企業である堀場製作所の人財論なども、ぜひお読みいただきたい。

 

 

BN

著者紹介

山本梁介(やまもと ・りょうすけ)

スーパーホテル会長

1942年大阪生まれ。’64年慶應義塾大学経済学部卒業、繊維商社の蝶理に入社。25歳のとき家業を継ぐが、その後、不動産業に転身し、シングルマンションを中心に事業を拡大。’90年にビジネスホテルの運営を始め、’96年からスーパーホテルのチェーン展開をしている。日本経営品質賞(2009年度、中小企業部門)ほか受賞多数。今年の「ベストモチベーションカンパニーアワード」(リンクアンドモチベーション主催)第1位にも選出。著書に、『1泊4980円のスーパーホテルがなぜ「顧客満足度」日本一になれたのか?』(アスコム)、『5つ星のおもてなしを1泊5120円で実現するスーパーホテルの「仕組み経営」』(金井壽宏氏との共著、かんき出版)がある。

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