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瀬戸内海の「島の命」を守り続ける船の病院“済生丸”

坂本光司(法政大学大学院教授),坂本光司研究室

2014年08月04日 公開 2022年07月14日 更新

地球約19周分の距離を航海し、受診人数は延べ56万人

社会福祉法人済生会は、病気になってもお金がなく、命を落として亡くなっていく人たちを救うため、明治天皇の「恵まれない人々のために施薬救療による済生の道を広めるように」との「済生勅語」によって、明治天皇より御下賜金150万円と、その他官民からの寄付金で、1911年5月30日に恩賜財団として創設されました。

創立以来、今日まで103年の長きにわたり幾多の曲折を経ながらも、「済生」の心を受け継ぎ、保健や医療、福祉の充実、発展を目指し、数多くの事業を行っています。

現在、社会福祉法人恩賜財団済生会として、第6代総裁に秋篠宮文仁親王殿下をいただき、豊田章一郎会長、炭谷茂理事長のもと、東京に本部、40都道府県に支部を置き、活動しています。

社会福祉法人として、また公的医療機関として、その機能を充実させ、さらに発展させるべく、病院、介護老人保健施設、老人福祉施設、児童福祉施設、訪問看護ステーションなど、370あまりの施設で約5万4000人の職員が保健や医療、福祉活動に取り組んでいます。

原点は「済生」。生命を救う心です。済生会の医療と福祉の理想は全国に、そして未来へ広がっています。済生会は、明治天皇の「済生勅語」の精神をもとに、明日の医療と福祉の充実を常に願い、今日に至っています。

これまでも、そしてこれからも、その救療済生の理想の灯を時代の流れに照らし合わせながら、未来へ灯し続けるのが願いです。

第二次世界大戦後、民間団体として生まれ変わった済生会は、全職員の努力により、1961年に創立50周年を迎え、その記念事業の1つが済生丸事業だったのです。

岡山県には、「青い鳥」という事業があり、小さな船で笠岡諸島の巡回診療を行っていましたが、船が小さいために必要な医療機器を積むことができませんでした。

そこで岡山済生会総合病院の大和人士院長(当時)が発案し、社会福祉法人済生会の創立50周年記念事業の1つとして、本格的な病院船をつくることになります。

瀬戸内海医学の実現に向けて、瀬戸内海を取り巻く11県で議論を始めましたが、最終的には現在の4県で取り組むことになりました。さまざまな紆余曲折を乗り越えて、済生丸が完成するまでには1年半もの期間を要しました。

現在も、瀬戸内海の島々の医療環境が不十分な地域を巡回し、診療や保健予防を目的に活動しています。1962年の就航以来、距離にして地球を約19周、およそ77万キロ航海し、受診のべ人数がおよそ56万人に達しています(2014年3月現在)。

2013年度の済生丸による瀬戸内海巡回診療実績は、受診のべ人数が約9400人となっています。支部岡山、広島、香川、愛媛県済生会と所轄病院などで構成する運営委員会を設置し、また、さまざまな関係機関の温かい協力を得て巡回を継続しています。

 

「済生丸」の使命は「予防医学」

瀬戸内海医学の確立を目指し、就航以来「自分の健康は自分で守る」という予防医学の目標を掲げ、保健の充実と地域医療や福祉に貢献できるよう、済生丸は今日までほぼ1年中瀬戸内海の島々を巡回しています。

済生丸が「無料診療」ではなく、「検診」と名づけられたのには理由があります。4県64の島と1地区を巡回すると、島へ行く回数は多い島で年8回、少ない島では年1回ですから、継続して治療や診療ができる状況ではありません。

巡回診療が始まったころは、島民のほとんどが診療に対する期待や無料化、済生丸への興味などから、受診者が多く来船し、1963年には年間1万717名にもなりました。

しかし、配船日程や時間には限りがあります。朝6時から診療を始め、いくら努力をしても予定時間内に診療を終えることができないこともありました。済生丸は島々を巡回しているため、同じ島には年に数回しか行くことができず、急な病気や慢性疾患の治療には、対応することができません。

当初は、一部の島民からも「済生会病院はよほど暇なのか。こんな島まで患者を集めにくる」とか、「済生会は儲かっているから無料診療をしている」などと言われたこともありました。

巡回診療を続けるうちに、治療医学だけではとうてい到底無理であると気づきます。健康保険証は持っていても、医療機関が存在しないため、都市に比べて受診率が低いのです。我慢したり、病気であることに気づかなかったり、という潜在疾病が多かったのです。

そこで予防医学の重要性に改めて気づき、現在のような検診主体の巡回となっていきました。「医師がいない島の人はなるべく病気にならないように「自分の体は自分で守る」という予防医学を徹底し、実践するのが済生丸の使命なのだ」と、大和院長は述べています。

その後、検診によってがんやその他の病気が早期発見される人が増えるにしたがい、「予防医学」の必要性が島の人々に浸透していきました。1960年代後半には診療人数が減少しましたが、1976年ごろより再び増加し、毎年検診を受ける人も増加しました。

これは50年あまりもの長い間、誠心誠意従事してきた医療スタッフや多くの支援者、協力者の努力があったからではないでしょうか。

 

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「命をつなぐ手がかりの船」

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