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瀬戸内海の「島の命」を守り続ける船の病院“済生丸”

坂本光司(法政大学大学院教授),坂本光司研究室

2014年08月04日 公開 2022年07月14日 更新

4代目済生丸、通称「済生丸100」が2014年に運航開始

2012年10月末、関係4県からの地域医療再生計画での補助金が後押しする形となり、「済生丸四世号(仮)」の発注が神戸の金川造船に決まりました。

また、これに加え国からの補助も受け、建造を進め、進水式は2013年8月8日、新船竣工披露式は翌2014年1月以降関係4県で実施され、岡山では新岡山港と笠岡港で行われました。

そしてついに1月15日、4代目済生丸、通称「済生丸100」が笠岡諸島の北木島を皮切りに診療を開始しました。総建造費6億6000万円、全長約33メートル、幅7メートル、総トン数180トン、航海速力12.3ノット(時速約23キロメートル)で、定員は船員5名、診療班24名で、これに加え臨時乗貝は21名となっています。

自動血圧計、解析付き心電計、胃部透視撮影装置、胸部X線、超音波検査、婦人科検診台、眼底カメラ、骨密度測定器、マンモグラフィ、生化学自動分析装置、AEDなども設備し、診察室2室と待合室も設けています。

医療船の性質上、船底にレントゲンなどの検査機器が設置されているため、車いすや足の不自由な人は狭い階段の昇降が困難でした。そこで、済生丸100には、長年の夢であった4人乗りエレベーターを設置しました。

また、段差をなくしたり、通路を2メートルに広げたり、高齢化が進んでいる離島住民に対応し、バリアフリーになっています。船体や機関、電気部門にわたり装備の充実も図っています。

 

日本唯一の病院船として大震災時に活躍

日本には、災害時に備えた病院船がありません。全国で唯一の病院船である済生丸の存続意義はとても重要なのです。大規模災害時には、医師や診療物資の運搬、診療拠点にもなります。

1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災の際は、愛媛県松山港に停泊していましたが、急きょ巡回診療を中断し、岡山に回航して「災害救助船」として医療救援活動に参加しました。

兵庫県衛生部から岡山県保健福祉部を通じ依頼があり、新神戸港へ救援に駆けつけました。派遣のべ人数は、医師40名、看護師39名、薬剤師や放射線技師など医療技術員11名、事務他18名の合計108名(香川、岡山、広島、愛媛、鳥取、島根、山口、福岡、佐賀、熊本の各済生会より派遣)にのぼりました。

混乱する陸路を避け、海路を使って、岡山~神戸間を何度も往復し、救援物資を運ぶなどしました。不足する紙おむつや粉ミルク、生理用品などの救援物資を運搬し、その量はトラック5台分にもおよびました。医師や看護師、ボランティアなども送り届け、神戸の長田地区では診療にも当たりました。

また、診療する医師や看護師の宿泊施設としても活躍したことはあまり知られていません。約1カ月半にわたり、輸送および救護支援活動に大きく貢献したのです。

 

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全国の人たちの力で「済生丸」を守り続けたい

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